今回は70歳にして現役のプロゴルファー、ジャンボ尾崎将司さんについてみていきましょう。
目次
ジャンボ尾崎将司について
ジャンボ尾崎将司さんは現在プロゴルファーとして活動されていますが、元々は本名である「尾崎正司(おざきまさし)」として、西鉄ライオンズに所属していたプロ野球選手でした。
人生で2つの『プロ』と呼ばれるスポーツ選手になれるなんて、すごいとしか言いようがありませんよね!
しかもプロ野球選手になってから1年で一軍入りを果たすなど、球団きっての期待の星だったのだとか。
野球で挫折しゴルフの世界へ
しかし、現実は厳しいもので、尾崎さんはプロ入り3年で、球団を退団してしまいます。
1965年にプロ野球の西鉄ライオンズに入団。
投手として活動していましたが、同期入団した池永選手の投球を見たときに自分の力のなさを実感し、野手に転向。
二軍では4番を打てるものの、一軍では目立った活躍もできないことから中西太監督に退団を申し出ます。
期待した若手選手がわずか3年で退団ということで、球団社長は激怒したって事ですけどね。
昔は何でも「とにかくやってみろ!」という風潮だったので、余計に反感を買ってしまったみたいですね。
「井の中の蛙大海を知らず」というと酷ですが、要は尾崎さん自身、何か思うところがあって退団を決意したのだと思います。
どの世界にも上には上がいますもんね。
しかし尾崎さんは「池永投手に勝ちたいという気持ちが強かった。
野球では負けても違う世界ではあいつを追い抜く。」ということで、残留を希望されますが、結局西鉄を退団します。
打撃コーチの花井悠さんにゴルフ転向を勧められ。プロゴルファー転向を決意します。
しかし、退団時の騒動のため、西鉄の息のかかった九州では活動できなくなり、婚約者を残して1人千葉のカントリークラブへと旅立ったということです。
花井さんに勧められプロゴルファーを目指したということです。
野球と同じく、ゴルフにも何か光るものがあったということでしょう。
ただ、九州で活躍できなくなってしまったのは残念ですね。
円満にやめられないと、後で何か不便なことになるんですよね。
そこは球団側も少し譲歩してほしかったところではありますが、期待の新人が辞めるということで焦ってしまったのでしょうか?
プロゴルファーとしての活躍
退団後、1970年にプロテストに合格し、正式にプロゴルファーに転向しました。
退団が1968年ですので、わずか2年でのプロ転向はさすがです。
天は二物を与えてしまったんでしょうか。
1971年には日本プロゴルフ選手権で初優勝を飾っていて、日本のゴルフ界をリードしてきた存在とも言われております。
池永投手がいたからこそ、野球での悔しさをバネにゴルフで結果を出したということでしょう。
西鉄ライオンズの方も、これほど見事な転向を見た日には、何も言えなかったのではないでしょうか。
しかし、国内では強くて、海外では弱いとも言われていましたよね・・・。
理由は分かりませんが、昔聞いた話で噂かもしれませんが、ジャンボ尾崎さんはタバコを吸うそうです。
で、日本のツアーではタバコはOKで精神が落ち着くらしいですが、海外のツアーではタバコはダメでそれで成績が上がらなかったって聞いたことがあります。
真相は分かりませんけどね・・・。
噂話なのでなんとも言えませんが、確かに風を読んだりドライバーを選んだりと、常に集中力を欠かすわけにはいかないスポーツだと思いますので、もしかしたらその線もあるかもしれませんね。
野球場は喫煙OKだったんでしょうか?
現在の活躍は?
全盛期には年収2億964万6746円も稼いでいたとされる尾崎さんですが、2011年には年収111万6000円に。
情報が2011年のものになりますので、最近はもう少し減っていると考えた方がよいかもしれません。
主な原因としては、腰痛と年齢でしょう。
しかし、生涯獲得金額は未だ破られておらず、いかに尾崎さんが凄い選手だったのかを物語っています。
嫁は尾崎義子?
奥様は尾崎義子さんで間違いなさそうです。
ただ、Wikipediaには「配偶者:尾崎義子」と記載されていますが、実際には2006年に協議離婚されていたようです。
離婚の原因は?
色々な憶測が出ていますが、どうやらゴルフ場開発などの事業の失敗や、義子さんの投資が失敗した等で、借金が50億円にまで膨らんでしまったのだそう。
その借金が原因で離婚されたようですね。
この50億円の借金は民事再生法によって16億円ほどになったと言われています。
それを今でも少しずつ返済されているようですね。
尾崎将司は昨年2016年度は出場した12試合のうち実に9試合を途中棄権してしまいました。
むしろ腰の手術や治療のために借金は嵩む一方。尾崎将司の借金は、まったく減っていないと言える状況です。
全盛期を知っていた方にとってはなんとも悲しい話ではありますが、腰の状態があまりにも悪いみたいで、大変そうですね。
こうなるといっそプロをやめて、実況コメンテーターや講演会を行うなどしたほうがいいのでは…。
とも思いますが、優勝したときの賞金は何千万ともらえますからね、やすやすと手放すわけにはいかないのでしょう。
息子はいる?
尾崎さんには同じくゴルファーの息子さんがいらっしゃいます。
お名前を「尾崎智春」さんといい、お父様のゴルフ軍団「ジャンボ軍団」に所属しています。
小さい頃から父・将司の影響でゴルフに触れ、父を師匠とし中学から本格的にはじめる。
千葉日本大学第一高等学校2年で関東ジュニア優勝。1989年からは渡米し語学学校に通いながらミニツアーに参戦。
1999年新ツアー発足により開始されたクオリファイイングトーナメント制度を利用し数試合に出場。
2002年の「東建コーポレーションカップ」では初日出場選手最高の381ヤードというドライビングディスタンスをマーク。
父親譲りの飛ばし屋ぶりを発揮した。
持ち前の明るい性格で男子ツアーにも笑顔をもたらしてほしい。
確かに、笑顔が素敵な方ですよね。
父の背中に憧れて自分もゴルフの道に進んだということでした。仲が良さそうですね。
ただ、ゴルファーとしての芽は未だ出ておらず、お父様のキャディをされていることが多いのだとか。
お父様が偉大な分、期待値が大きくなりすぎたのかもしれませんね。
現在の自宅と住所は?
かつてゴルフでブイブイ言わせていた時に購入した『ジャンボ御殿』にはなんとゴルフ場があるらしく、
練習は手を抜かないジャンボですから、毎日のように千葉にある自宅練習場に姿を見せます。
コースでいえば、1ホールほどの広大な練習施設。
打ちっぱなしもできれば、アプローチ、バンカー、もちろん練習グリーンと完備しています。
集まってくる若いメンバーたちを見ながらジャンボも打ちます。
2016年の記事にはこう書かれていましたので、千葉県にあるゴルフ場付きのご自宅で暮らしてると考えられます。
しかしその一方で
その千葉県にある豪邸はすでに分譲住宅となってほかの人が住居しておるようです。
といった情報や
千葉県のプレハブみたいなところに住んでいる。表札も他人の物。
のような、借金に追われ自宅を売却、現在はプレハブに住んでいる。
というような情報も多々あり、どれが本当のところか分からない状態でした。
元の尾崎邸は、千葉県習志野市にあるとされていますので、気になる方は是非調べてみてください。
ちなみにプレハブと呼ばれているお宅は千葉市の犢橋(こてはし)小学校のすぐ近くだそうです。