小椋佳の嫁・神田桂穂里は病気?大学は東大?息子や現在について | 芸能人の嫁特集!

小椋佳の嫁・神田桂穂里は病気?大学は東大?息子や現在について

今回は作曲家・小椋佳さんの嫁についてみていきましょう。

小椋佳さんが結婚した嫁の神田桂穂里さんはどんな人か、息子や現在についても調べてみました!

小椋佳と嫁・神田桂穂里は1968年に結婚

作曲家や作詞家として多方面で活躍しているミュージシャンの小椋佳さん。

美空ひばりさんなど有名歌手に楽曲提供をしたり、日本レコード大賞を受賞したり素晴らしい才能を発揮しています。

実はデビュー前には日本勧業銀行に勤務し、東京大学大学院も修了している超エリート。

そんな小椋佳さんは嫁・神田桂穂里さんと1968年に結婚しています。

 

小椋佳の嫁・神田桂穂里はどんな人?

結婚した奥さんの神田桂穂里さん(旧姓:塚原)

2人の出会いはなんと小学生のころ。幼いころから知り合いだったのですね。

交際がスタートしたのは小椋佳さんが東京大学法学部に入学してからのことでした。

小椋佳さんの初恋の人が現在の奥さんで、ずっと桂穂里さんを想い続けて付き合うまでにかなり努力したみたいです。

もともと成績はそれほど良くなかった小椋佳さんですが、桂穂里さんは優等生で学校のマドンナ的存在でした。

そこで桂穂里さんに振り向いてもらうよう必死に勉強し、東大に入るまで成績アップしたそうです。

それほど桂穂里さんが魅力的な方だったのですね!

 

病気なの?

小椋佳さんの妻、神田佳穂里さんが病気であるという噂は間違いで、実際には神田さんに病気の情報は確認されていません。病気を患っているのは小椋佳さん自身で、57歳の時に胃がんと診断され、また糖尿病や体重の問題も抱えていたことがあります。胃がんから回復後、一人暮らしを始めた理由は、神田佳穂里さんとの不仲や離婚ではなく、単に一人の時間を持ちたかったからです。

現在、小椋佳さんと神田佳穂里さんは週末婚として、土曜日と日曜日だけ一緒に過ごしているとのことです。神田佳穂里さん自身は健康で、大病を患ったという情報はありません。過去に、小椋さんの次男が若年性脳梗塞で重い状態に陥ったことがありますが、これが神田佳穂里さんの病気と混同された可能性があるかもしれません。

小椋佳と嫁・神田桂穂里の馴れ初め

小椋佳さんと妻・神田佳穂里さんの出会いは幼稚園時代に遡ります。

台東区立黒門小学校では同級生で、1年生の時には隣の席になったこともあったそうです。当時、神田佳穂里さんは小椋さんの初恋の相手でしたが、小学生から中学生の頃、彼女に全く相手にされなかったといいます。

小椋さんは中学2年生から神田佳穂里さんへの方想いを日記に綴り始め、これが後の作詞活動の出発点となったと言われています。

小椋さんは当時、学業成績が良くなかったのに対し、神田さんは優等生で学校のマドンナでした。小椋さんは神田さんと同じ学校に通うために猛勉強し、最終的には東京大学文化一類(法学部)に合格しました。

学生時代には一度交際に発展するも、神田さんからフラれて別れたとされています。しかし、その後福島県で再会し、再度交際が始まりました。小椋さんは大学を卒業し、日本勧業銀行(現みずほ銀行)に入行した後の1968年に結婚しています。

小椋さんの本名は「神田紘爾(かんだこうじ)」であり、芸名の「小椋」は福島に住んでいた際の下宿先の大家さんの苗字から取ったものです。芸名の「佳」は奥さんの名前から取ったとのことです。

 

小椋佳さんが作られた名曲『シクラメンのかほり』は嫁のこと?

小椋佳さんの作品の中でも名曲中の名曲である「シクラメンのかほり」は、嫁の桂穂里さんのことを歌っているといわれています。

1975年に発表された「シクラメンのかほり」は布施明さんが歌い、第17回日本レコード大賞を受賞しています。

この歌は小椋佳さんが桂穂里さんに捧げた愛の讃歌で、『シクラメンのかほり(=桂穂里)』ということです。

小椋佳さんはかつて桂穂里さんに別れを告げられた際にどうしてもあきらめきれず、彼女の好きだった薄紫の言葉を残したといわれてました。

「シクラメンのかほり」という奥さんの名前にちなんだ歌が名曲となり、自身の代表曲になるなんて素敵ですね!

小椋佳さんは桂穂里さんのことを一途に愛していることがとても伝わりました!

 

小椋佳と嫁・神田桂穂里の夫婦仲

小椋佳さんは1967年に結婚した奥様と、2024年には結婚57周年を迎える熟年夫婦です。これまでに奥様との結婚の前に離婚歴はなく、現在も正式な夫婦関係を維持しています。離婚したという話はデマです。

ただし、小椋さんは一時期、奥様と別居していたことがあります。この別居は離婚を意味するものではなく、一人暮らしを希望するためのものでした。このため、別居期間中に夫婦が離婚したと誤解されることがあるかもしれませんが、実際には結婚関係は続いています。

 

結婚生活エピソード~週末婚だった時期も~

小椋佳さんと奥様は、一時期週末婚をしていました。これは、小椋さんが57歳の時に胃がんの手術を受けた後、独り暮らしを経験しながら生活に没頭したいという希望から始まりました。これまで生活の基本的な部分に無頓着だった小椋さんが、自分自身の生活基盤を学びたいと考えたためです。

週末婚は、月曜から金曜までそれぞれ別々に過ごし、金曜夜から月曜の朝までは一緒に過ごす形で、夫婦の距離を取ることでお互いの大切さを再認識しようというものでした。最初、奥様はショックを受け、悲しんだものの、小椋さんの意図を理解し、週末婚に応じました。

時間が経つにつれ、週末婚が快適であることがわかり、奥様も「居場所さえわかっていればいい」と言うようになりました。しかし、20年ほど経った後、奥様が小椋さんに「残された時間を同じ屋根の下で暮らしたい」との手紙を書いたことで、再び毎日一緒に過ごすことになりました。

長い間の週末婚を経て、今後は共に残された時間を大切に過ごすこととなった小椋夫妻。お二人の関係がさらに深まったことが伺えますね。

小椋佳と嫁・神田桂穂里の子供は息子が2人

小椋佳さんと奥さんの間には、息子さんが2人いらっしゃいます。

1969年に長男・知秀さんが誕生し、1973年に次男・宏司さんが誕生しています。

長男・神田知秀さんは小椋佳さんのマネジメント会社「㈱ゴッド・フィールド・エンタープライズ」の代表取締役をつとめています。

次男・神田宏司さんは国内でも数少ない琵琶製作者として活躍しています。


出典:https://search.yahoo.co.jp/image/

最近、若手の琵琶奏者が増えてきていますが、「琵琶の製作師」となると日本に2人しかいないそうです。

実は宏治さんは中学生の時に若年性脳梗塞で倒れてしまい、全身不随で学校も辞めてまともに青春時代を過ごせなかったのです。

一時は命も危ぶまれたのですが、小椋佳さんが耳元で『あなたが美しいのは』を口ずさむと奇跡的に宏治さんが一緒に歌い始めます。

言語能力も失っていたはずの宏治さんが歌をうたうことに奇跡を感じ、音楽の力の偉大さを感じたようです。

その後小椋佳さんが50歳の時に「一緒に琵琶を習わないか」と誘ったことがきっかけで、「山下晴風」師に入門します。

そして琵琶の製作に目覚めて9年間修行を積みます。

病気で体が不自由になり、生きる希望をなくした際に出会ったのが琵琶だったのですね。

 

小椋佳と嫁・神田桂穂には孫がいる

小椋佳さんには2人の息子がおり、そのうちの長男には子供がいます。小椋さんはこの孫を非常に可愛がっており、プライバシー保護のため、孫の詳細な情報や写真は公開されていません。孫はまだ芸能活動などには参加していないようです。

2023年の小椋さんのラストコンサートには、長男と孫も訪れており、コンサート中に孫と一緒にいる小椋さんの姿が目撃されました。記者によると、小椋さんは孫の前では普通のおじいちゃんとして親しみやすい一面を見せていたそうです。普段は強面に見える小椋さんも、孫と過ごす時間には優しい表情を浮かべることが多いようですね。

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