今回は落語家の桂文珍さんについてみていきましょう。
桂文珍について
5代目桂文枝の弟子で、1980年代以降は「ニューウェーブ落語」と称したパフォーマンスを取り入れた高座で一躍人気者となります。
新作落語・古典落語の両方を演じることができることや、関西大学の非常勤講師も務めていることなどから「文化人」と称されることもあります。
そんな桂文珍さんの私生活について調べてみました。
桂文珍の嫁
桂文珍さんは結婚して奥さんがいらっしゃいますが、嫁や子供についての情報は皆無でした。
一般の方のようですが、桂文珍さんは以前「徹子の部屋」に出演した際に長年連れ添った奥さんのことや、熟年離婚しないために奮闘していることを語っていました。
20代のころは貧乏でした。
妻と定食屋に行って、ご飯と味噌汁を2つもらって、アジの塩焼きを1匹。
それを二人で分けました。
確か200円くらいでしたね。
妻が「あんたはこれから出世せなあかんのやから、頭の方を食べなはれ」って。
いい時代でしたな、妻もやさしくて。今は私が頭から食われてます。
おしどり夫婦なんでしょうね。
桂文珍の現在について
桂文珍さんは1982年より毎年8月8日を「88文珍デー」と題し、独演会を開催して演目を増やしています。
2005年3月に報道ワイド番組『ウェークアップ!』(現:『ウェークアップ!ぷらす』)が終了したことを機に、テレビのレギュラー出演を辞めて、落語家に専念し若手の育成に励むことを表明しています。
2005年より年に1回、桂南光(米朝事務所)、笑福亭鶴瓶(松竹芸能)と所属事務所の垣根を越えて落語会『夢の三競演 三枚看板 大看板 金看板』を開催、落語会としては破格の6,000円を超える料金が話題となる。
このユニットでテレビ番組の特番に出演するなど、従来の枠を超えた活動が続いている。
2007年10月から「桂文珍独演会」25周年に合わせて全国52カ所を巡る独演会ツアーを翌年4月4日まで開催し、六人の会のメンバーの他に3代目桂春團治、笑福亭仁鶴、桂三枝、桂南光らが高座に上がった。
その後、NGKで10日間の独演会に今いくよ・くるよ、中田カウス・ボタン他、吉本の漫才師がゲスト出演した。
以降、毎年独演会ツアーを開催中。
なお、2009年からは所属一門、事務所の枠を超えた落語会「京橋精選落語会」を京橋花月でスタート。
このようにかつて多数のレギュラーを持っていたテレビ出演については、短期もしくはゲストでの出演で、脇役程度にとどめており、基本的には落語の高座を主体とした活動を続けています。
桂文珍は飛行機を所持してる?
幼いころはパイロットにあこがれていたという桂文珍さん。
なんと桂文珍さんは、自家用操縦士の技能証明と計器飛行証明を取得しており、飛行機の操縦資格を持っているのだとか。
その上、62機しか生産されず、日本に1機しか存在しない小型自家用飛行機(いわゆるセスナ)を所有しています・・・
スーパーセレブですね。
地方の公演先などに自ら飛行機を操縦して向かうことがあります。
また、小型スポーツ飛行機である「ジャイロフルーク SC 01 スピード・カナード」を日本で唯一所有していることでも有名です。
僕はあまのじゃくなもんで、危機のときこそ、すごく楽しい時期だと思ってます。
株が安くて、円高還元セールをあちこちでやるといったら、なんでも買いの時期ですよ。
円高ですから米国からモノを買わなきゃいかんと思ってね、GM社の車を買いました。
セスナ社の新しい飛行機も買いましたわ。
飛行機愛好家のブログなどにもたびたび登場する桂文珍さん。
「きさくで嫌な顔一つせずに記念撮影に付き合ってくれる」など、大変良い人だと評判です。
2003年の能登空港開港の際には、自家用飛行機(ジャイロフルーク スピード・カーナード)が第一号到着機となりました。
桂文珍の年収がすごい?
所属する吉本興業の中でわずかに10人ほどしかいないという「年収が億を超えるタレント」の一人だとされている桂文珍さん。
飛行機が変えるくらいですから、そのセレブっぷりは予想できますよね。
桂文珍の年収は公表されてはいませんが、リーマン・ショック後の株安、円高時にGM社の高級外車とセスナ社製の新しい飛行機も買い足したと公言していることからも、桂文珍の年収の高さをうかがい知ることができます。
その他にも高級外車を所有しているという情報もありますから、桂文珍の年収が高いのは間違いでしょう。
ワイドショーの司会を長年務め、大学教授の経験もある多才な桂文珍さん。
落語家としてだけではなく文化人枠としての需要も高いので、出演料は講演会が130~160万円、舞台は一回につき12万円、営業は弟子たちの分も含めて200万円ほどだとか・・・
桁違いですね。
桂文珍の自宅はどこ?
兵庫県篠山市に生まれ、ラジオの落語を聞いて育った桂文珍さん。
長く神戸に住んでいる桂文珍さんは、自宅で阪神・淡路大震災に遭ってしまいました。
家屋は倒壊し、「死んでもおかしくなかった」。
つぶれた家をバックに家族で写真を撮った。
「なぜか笑顔で写っていた。笑わなければ、やっていられなかった」。
震災から15年たつが、文珍さんの記憶は生々しい。
「嘆きのどん底に行った時、底を打つのは笑いの“癒やし力”では…」。
ストレスの多い現代は「みんな、笑いを渇望しているように思える」と話す。
実家のある兵庫県丹波篠山は、山の奥のまた奥という壮絶な田舎だったようです。