タレントのダニエルカールさんのお嫁さんについて調べました。
ダニエルカールさんの子供は息子さんが3人だそうですが、子供の情報も収集!
自宅や現在の活動についても着目しました!
ダニエルカールの嫁
出典:https://search.yahoo.co.jp/image/
ダニエルカールさんと言えば翻訳家や実業家として活躍する傍ら、山形弁で話すその訛りが売りのタレントさんでもあります。
そんなダニエルカールさんのお嫁さんはどんな方なのでしょうか?
調べてみたのですが、ダニエルカールさんのお嫁さん情報は非常に少なく、その中から分かったのは、ダニエルカールさんが中学校で英語教師をしていた時の同僚の日本人女性だということ。
お名前を「和香さん」と言います。
お嫁さんも英語教師だったそうなので、日本語だけでなく英語でも話せたことは結婚の大きなポイントになったのではないでしょうか?
交際期間は2年間でした。
未だハードルが高い国際結婚でしたが、順調だったようです。
現在、ダニエルカールさんのお嫁さんは、家庭教師の派遣会社経営をしているやり手社長となっています。
和香さんはダニエルと結婚後、家ではリラックスできるように英語で話すよう気を付けていたと明かしました。
特に、お嫁さんのことを秘密にしているわけではないようですが、多くを語る必要もないのでしょう。
ダニエルカールの子供
ダニエルカールさんには3人の息子さんがいらっしゃいます。
男の子3人はやんちゃで喧嘩もよくしますので、さぞかし大変だったのでは?
と思ったのですが、何ごとにもポジティブなダニエルカールさんですから、子育ても楽しんでいたようです。
「悩みを内に秘めないでと言いたいですね。
自分一人で悩むことはないんです。
そして大切なのは楽しむことだと思います。
大変なことばかりだけど、子供の日々の変化や成長など、小さいものでも、喜びを見つけていく。
そんな意識をもつことが大切だと思います。」
「食」何があっても前向きに考えていれば、一番いい方法に気がつくんだよって話しているんです。
よく【性格は自分では変えられない】という人がいるけど、そんなことはないと思っているんです。
自分の性格は自分が作るんです。」
実にアメリカ人らしい発想だと思います。
日本の男性が父親になると、どうしても神経質になりがちです。
狭い日本だらかこそダニエルカールさんのように、のびのびと子育てをするのも大切かもしれませんね。
ダニエルカールの自宅
ダニエルカールさんの自宅は都内にありますが、今でも不自由な人が多くいる東日本大震災の被災地へ出向き、支援を続けています。
山形弁研究家として第二の故郷である山形への想いが強いことが伺えます。
そんなダニエルカールさんの自宅が、テレビで放送されたことがあります。
自宅は4LDKのマンションで、窓からは都内の風景が一望出来ます。
先にも少しご紹介しましたが、ダニエルカールさんは実業家でもありますので、少なくとも生活に困窮はしていません。
大きな家に住むことをメディアで披露することには賛否両論ありますが、やはり成功することに憧れや夢を持つためには、そういう露出も必要なのでは?と思います。
ダニエルカールの現在
最近、ダニエルカールさんを見たのは、恐らくアメリカ大統領選の話題の時にテレビに出ていたという記憶止まりではないでしょうか?
それでも、レギュラー番組でナレーションをされていますし、テレビでの露出が減ったと言っても、自身は実業家ですから痛くもかゆくもないのではないでしょうか?
それでも、「外国人から見た日本の良さ」という講演を年100回以上もされています。
日本で成功した外国人だからこそ聞きたい話しはたくさんありますよね。
テレビに出ることだけが仕事ではありません。
それぞれの役割ってありますよね?
ダニエルカールと山形県
どうしてダニエルカールさんは山形弁を喋るのか?
ちょっと知りたくなって調べてみました。
実はダニエルカールさん、関西弁も標準語もちゃんと話せるそうなんです。
その上、佐渡弁なども話せる、細かく区切れば何ヵ国後も話せる天才なのです。
ダニエルカールさんと山形弁の繋がりはこんなことからでした。
学卒業後は三たび来日し、文部省英語指導主事助手として山形県に赴任する。
中学校で3年間英語教育に従事し、その間に現地の同僚(主に中学校教師)からその後のトレードマークとなる山形弁を教わり、マスター。
それが第一歩になったようです。
その後ダニエルカールさんはますます山形弁に興味を示していきました。
初めて山形の地を踏んだ時は現地の老人の会話内容が全くわからず、「間違えて電車を乗り過ごし、外国に来てしまったのではないか?」と本気で思ったとの事。
しかし、「話している言葉が日本語だとは思えない」と非常に混乱したという。
特に「ん」で始まる日本語は存在しないと幾度も教わってきたので、現地人たちは何かにつけて「んだ!」、「んだー!」を繰り返し言っている事が余計に混乱の元となった。
ですが、この混乱がダニエルカールさんの好奇心をくすぐり、山形弁に熱中し始めたのでした。
日本には方言というものが存在し、同じ日本人同士でも通じないことがあるのに、時に外国人はおかしなものに目をつけますよね。
ダニエルカールさんの場合はそれが功をなしたというわけです。