亀井静香が元嫁と離婚した理由がヤバイ!息子の名前は島田潔で医師?元電通社員?

亀井静香の嫁は誰なのか、また息子の名前は島田潔で医師なのか、さらに元電通社員なのかについて調べました。

亀井静香の嫁は誰?

亀井静香さんは息子さんが小学校に上がるときに離婚したそうです。

原因は、当時亀井静香さんが警察官僚として浅間山荘事件の陣頭指揮を取っていて、家にはほとんどいなかったこと、そしてその代わり、自宅には大勢の新聞記者が情報収集のために押しかけてきていたこと。

そんな生活が嫌になって、奥さんは息子さん2人を連れて家を出たんだそうです。

もともと彼が政治家になる前に嫁さんと別れているわけですから、奥さんは一般人ですよね。

それゆえ、嫁さんのことについて詳細に載っている情報はありませんでした。

つまり、彼が政治家になる頃には嫁さんはいなかったということになります。

名前もどういう人かも分からないのは当然ですね。

ではなぜ離婚したのでしょうか。

 

離婚したのはなぜか?

浅間山荘事件の画像。

警察官僚だった亀井さんは、家族にも奥さんにも相談せずに警察庁を辞め、郷里の庄原市に帰ってきて選挙運動を始めたのです。

誰が考えても無鉄砲といえる選択でしたが、大方の下馬評を覆して、初出馬で初当選という偉業を成し遂げました。

東京大学を卒業したとの亀井静香さんはその後警察署に勤めます。

そこでとても忙しかったというのもあるのですが、その後は選挙活動を始めて政治家になると言ったのが大きな原因だったようです。

ポイントは奥さんや家族に相談せずに政治家になると勝手に決めたという事ではないでしょうか。

大切な仕事を放り投げて、しかも相談ナシに政治家になると聞けば、誰もが聞く耳を疑うのは間違いありません。

そして、嫁さんの堪忍袋の尾が切れて、結果的には離婚になったと思われます。

 

亀井静香と嫁の息子の名前は島田潔で医師?

亀井静香さんの息子さんは東京都板橋で往診医をしているんだそうです。

写真見ましたけど、いや~お父さんに似てない(笑)いい顔してます(笑)

この息子さんは、島田潔さんとおっしゃるそうで、名字はお母さまの姓を名乗っています。

最初聴いた瞬間、亀井静香さんの息子だと思った方はほとんどいないのではないでしょうか。

なぜなら名前が全く違いますし、顔を拝見していてもお父さんと全く違いますから。

お父さんが政治家になって離婚したから医師という違う仕事を目指したというのもありますが、そのままお父さんと同じように政治家の道を目指したほうが楽だったのではないかと思うのです。

なぜ目指さなかったのでしょうか。

そしてなぜ医師になったのかについて具体的に見ていきます。

 

なぜ医師なのか?

島田院長は、24時間いつでも駆けつけてくれる往診医なんですって。

常勤医師8人が月間約2500件の往診患者を抱えているという、非常に大変なお仕事をされていますが、一方では、非常に誇らしいお仕事でもありますね。

島田院長が医者になろうと思ったのは、お父様の亀井静香さんの言葉がきっかけなんだそうですよ。

高校2年のときに、「昔は人生50年。自分のことかせいぜい家族のことで必死な時代。

でも今は人生80年。

自分や家族のためだけに生きたら空しいぞ」という話をされたそうです。

それで、島田院長は人の役に立ちたいと、医師を目指すようになったんだとか(^^)

とてもすてきな話だと思います。

亀井静香さんならではのコメントだと思います。

そしてそれを離婚した時にしっかりと覚えていて、初志貫徹した息子さんも大した能力だと思います。

お父さんと同じ東京大学の出身ですし。

そして人のためになるようにということで医師を目指すということですから本当に素晴らしいと思います。

 

元電通社員なの?

「クライアント側は、ライオンの宣伝担当役員の息子など、役員以上でないとコネになりません。

オーナー企業系は人事異動や派閥争いで消えたりしない堅いコネなので採ります。

変わったところでは、靖国神社の宮司の息子、というのもいます」(ベテラン社員)。

政治家系では、平沼赳夫(自民党に復党)の息子、亀井静香の息子(退職済み)など。

自民党は、選挙活動や政策PRにおいて、電通の重要なクライアントでもある。

ここでコメントを見る限りでは、亀井静香さんの息子が電通社員として働いていたことになります。

しかもコネというのがなんとも。

ただこれは、上でも書きましたが、医師の息子さんと同じ人を表しているのか、もしくは兄弟のうちの一人かまではわかりませんでした。

しかし、これで入って今では退職済みですが、在籍していたということは事実のようです。

さて、亀井静香さんのいろいろなプライベートなところを見てきました。

今は政治家を引退されて、その活動されていた日々が懐かしいと思います。

地元乃人々に愛されてしっかりと日本のために仕事をされた、インパクトのあるすてきな政治家さんだったのではないかと思います。

これからの余生は今までできなかったことをやってもらい、長生きしてもらいたいなと感じる次第です。

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