江藤拓の嫁&息子まとめ。父親は江藤隆美で死因は心筋梗塞。

政治家である父の下で秘書を務め、その後地盤を引き継ぎ政治家として活躍する2世議員、江藤拓さん。

江藤拓さんのお嫁さんはどのような方なのでしょうか?

経歴を追いながら調べていこうと思います。

夫が国会で不在の時は、お嫁さんが地元を大切にするという「代議士の妻」の鑑のような方らしいですよ。

江藤拓について

江藤拓さんは1960年、宮崎県生まれ。

県立高校を卒業後、成城大学の経済学部に入学します。

1987年にはお父さんである衆議院議員の江藤隆美さんの秘書となります。

江藤隆美さんは宮崎県議会議員を3期経て、1969年の衆議院選挙で初当選します。

この時、同じように初当選したのは小沢一郎さんや羽田孜さん、梶山静六さんや森喜朗さんなど、のちに党首や党の要職、首相になるような方ばかりでした。

 

江藤拓の父

初当選後も落選することなく議員を続けてきた江藤隆美さんは、1985年には第2次中曽根内閣の建設大臣として初入閣、1987年の宇野内閣では幹事長代理と、徐々に閣僚や党の要職に就くことになります。

第1次海部内閣では運輸大臣に就任。

設立当時、空港の管制塔の占拠や、過激派のテロ行為など、多くの社会問題を発生させてしまった成田空港の第2次工事に際し、江藤隆美さんは反対同盟に対して「当時の問題を遺憾に思う」という謝罪ともとれる回答を示したそうです。

さらに、1990年に工事予定地に赴いた時には「住民が生きてきた土地を奪うかのようにしてきた行政の行動に、住民への配慮が足りず申し訳ないと詫びたかった」と、政治家として大きな覚悟をもって臨んでいったと当時を振り返っています。

これらのやり取りの中で、江藤隆美さんは成田空港問題に対して運輸大臣として初めて政府を代表して公に謝罪した人物とされています。

これを機に第2次工事は進展していったそうです。

しかし、どうしても民衆心理には良くない影響を与えてしまったようで、1990年に行われた選挙では現職大臣ながら落選してしまいます。

次の選挙では無事に返り咲きますが、落選してまでも反対派の人に謝りたいという思いがあったのでしょうね。

すごく漢気を感じます。

その後、2003年に選挙の不出馬を決め、引退。

2007年に訪問先のベトナムのホテルで寝ているときに心臓発作による心筋梗塞を起こしてしまい、82歳でこの世を去りました。

死因は心筋梗塞だったのですね!

政治家

1987年に父である江藤隆美さんの秘書として父の政治への取り組みをそばで見てきた江藤拓さん。

2003年、お父さんの引退に伴い、その地盤を引き継いで無所属ながら衆議院選挙に出馬して、初当選を果たします。

地力がなかったとみなされたのか、選挙の時には公認しなかった自民党が当選後に江藤拓さんを公認し、自民党に入党します。

しかしながら、2005年の郵政民営化法案の衆議院本会議での採択において、自民党としては賛成票を入れなければならないところ、自分の意思で民営化反対に一票を投じます。

これにより、その年の選挙では自民党の公認を得ることができませんでした。

それでも選挙では当選するのですが、党の方針に逆らったとみなされ、離党勧告を受け、江藤拓さんは自民党を離党します。

やっぱり団体に所属しているからには、決められたことを守らなくてはいけないのでしょうね。

当時、郵政民営化は絶対に成し遂げなくてはならないものだったでしょうから、それに反対するやつはいらないとなるのも当然のことですよね。

ただ、このまま無所属でいると、政党助成金などの恩恵が受けられないばかりか、「自民党」という後ろ盾がなく、裏切り者への制裁として、選挙区に自民党からの対立候補が立てられてしまうことも。

万が一、落選してしまえば大変なことになってしまいます。

そのためなのか、江藤拓さんは、翌2006年には「郵政民営化を含めた安倍政権の公約実現に邁進する」「誓約に違反したときは議員を辞職する」といった誓約書に署名をし、自民党への復党届を提出し、復党が認められました。

大政党に所属しているメリットを考えずに、自分の意思を通すのってすごく難しいですね。

こうして自民党への復党ができた江藤拓さんは、選挙のたびにきちんと勝利を収め、2017年の選挙までで6期連続で当選しています。

お父さんから受け継いだ地盤があるとはいえ、政治活動をしっかり行っているからこその連続当選なのでしょう。

実際、2010年に地元宮崎県を襲った口蹄疫問題の際、事態を深刻に受け止めずに、外遊を繰り返していた当時の民主党政府への批判が続く中、現場の本当の苦しみをわかってほしいと呼びかけ、地元では農林水産大臣の解任を求める声が上がっているが、今は一丸となって取り組むべきだと発言したそうです。

他にも、TPPに対して反対の立場をとるなど、地元の産業、特に農業を守るための姿勢が、非常に頼もしく思えます。

あまりにイケイケになりすぎて、郵政民営法案の時のように勇み足をしないようにしてもらいたいものです。

 

江藤拓の嫁

江藤拓さんには、上から翔君、悠君、健君と、すでに成人を迎えている3人の男の子がいます。

子供たちが小さい頃は、サッカーの試合を見に行ったり、大人になっても釣りやサーフィンに一緒に出かけたりと、親子の仲は結構よさそうです。

一番上の翔君が1992年くらいの生まれなので、江藤拓さんの結婚はすくなくとも1991年以前だと推測されます。

お嫁さんの名前は順子さん。

3人のお子さんを育てつつ、江藤拓さんが国会や仕事のときには、地元の行事などに出席、参加しているそうです。

江藤拓さんも、自分が地元にいないときにしっかりと顔をつないでおいてくれる順子さんのようなお嫁さんがいて、非常に助かっているのではないでしょうか?

江藤拓さんの選挙連勝の秘訣は、ひょっとしたらお嫁さんの地道な努力かもしれませんね。

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