大ヒット曲「青葉城恋唄」で知られる宮城県大崎市古川育ちのさとう宗幸さん(67)。
「宗さん」の愛称で多くの人々に親しまれ、シンガー・ソングライターとしてだけでなく、俳優、テレビ番組の司会者と、さまざまな分野で活躍しているようです。
2018年にはデビュー40周年を迎えるさとう宗幸さんについて紹介します。
さとう宗幸は結婚している?家族は?子どもは?
さとう宗幸さんの家族については、娘さんいるようです。
孫もいるという情報はありますが、具体的に何人子どもがいるとか、奥さんがどんな方かとかは情報がありませんでした。
イメージ的には家族を大事にしてそうですね。
さとう宗幸のプライベート
自宅については仙台市泉区という情報があります。
航空写真で撮られたということもありませんし、自宅がどこかという情報も画像もありませんでした。
インターネット上では、性格が悪いのではないかと言われていますが、イメージが家族思い出、人に優しそうなイメージの有名人にはありそうなガセネタのようです。
東日本大震災を仙台で被災
震災発生時は、ミヤギテレビに向かう途中で、宮城野区内を自家用車で走っていました。緊急地震速報がけたたましく鳴り、慌てて路肩に車を寄せた直後、今までに体験したことのない激震に襲われました。無我夢中で泉区の自宅に戻り、悪夢の中にいるかのような一夜を過ごしました。翌12日早朝、新聞配達のバイクの音を聞いた時は、本当にホッとしました。あの音は生涯忘れないです。そして、当たり前のようにあった日常の大切さが身に染みました。震災では友人や親戚が亡くなり、胸がつぶれる思いをしました。
生きていてよかったです。
その後は被災地の復興支援に尽くしている
3月22日に特別編成でミヤギテレビの「OH!バンデス」が再開されました。
世の中が混乱している時期でしたが、なるべく「日常」を取り戻すことを意識して出演しました。
番組では「青葉城恋唄」を歌いました。僕の中では番組で最初に歌うのは、この曲と決めていて、何の迷いもなかったです。歌っている最中は涙が込み上げてきました。番組終了後は「震災前の日常を思い出し、涙が出ました」など、テレビ局に電話やメールが殺到したそうです。その年の3月下旬からは、避難所や仮設住宅などの訪問も始めましたが、被災者の思いが痛いほど伝わってきました。それだけに安易に「頑張ってください」という言葉は、言えなかったです。宮城県ゆかりの仲間のミュージシャンらでつくる「みやぎびっきの会」で、被災地の復興支援ソング「虹を架けよう」を作ったり、NHKの復興支援ソング「花は咲く」にボーカリストとして参加したりもしました。今もチャリティーコンサートは続けています。
有名になっても、売れていても仙台を離れず、仙台を愛し、仙台を想い、仙台の方々からも愛されるさとう宗幸さん。
東北の復興のためにこれからも地元で活躍されることでしょう。