高卒ルーキーとしてJリーグの開幕戦に出場し、当時の日本代表選手を翻弄した永井雄一郎さん。
イケメンサッカー選手でもある永井雄一郎さんのお嫁さんや結婚生活について調べていこうと思います。
華々しいデビューとは裏腹に、思うように進まないこともあったようですよ。
永井雄一郎の嫁
アラフォーとは思えないくらいイケメンで居続けている永井雄一郎さん。
実は離婚を経験しているそうです。
詳しい時期までは調べきれませんでしたが、フォワードのポジション争いでいろいろと悩んでいたと思われる、2005年頃に離婚したのではないかと考えられます。
現在永井雄一郎さんは2012年、2014年、2017年生まれの女の子のお父さんです。
再婚したという話も大きく取り上げられていないので、残念ながらこちらの時期も不明です。
永井雄一郎さんはJ2のザスパクサツ群馬に所属していた2015年頃からブログを始め、練習や試合の報告とともに、お子さんとのほほえましいエピソードを綴っています。
ただ、奥さんについては紹介されることが少ないため、あまり詳細が分かっていないのです。
ですが、2018年、所属している社会人チームでアキレス腱断裂という大けがを負った永井雄一郎さんをお見舞いに来る女性が紹介されており、こちらの女性が永井雄一郎さんの奥さんなのではないかと見られてます。
お子さんに向けている目がとてもやさしく、笑顔が素敵な女性ですよね
奥さんの献身的なサポートとかわいいお子さんたちの応援でを受けて、永井雄一郎さんがまた活躍できることを期待しています。
永井雄一郎について
永井雄一郎さんは1979年、東京都生まれ。
小学校1年生から高校3年生までサッカーの強豪クラブに所属して、技術を磨いていたそうです。
元々運動神経がよく、サッカーを始める前に始めていた水泳では、サッカーとの掛け持ちをしつつも優秀な成績を収めていたそうです。
また、中学生の時には、足の速さを買われて地域の陸上大会に出場し、都大会で入賞するほどで、サッカー選手としてではなく陸上選手として高校からのスカウトがあったといわれています。
振り返ってみると、サッカーをやっている人ってスタミナもあるし、スピードもあって、持久走や短距離走では本職の陸上選手よりも速かったなんてことがありましたね。
サッカー選手なのに、サッカーで推薦が来ないというのは少しかわいそうですが。
高校3年までじっくりとクラブチームで実力を高めていった永井雄一郎さんは1997年に新卒でJリーグの浦和レッズに入団、トレーニングマッチやカップ戦での試合経験を重ね、その年の開幕戦でプロデビューを迎えます。
また、7月に初ゴールを決めており、2009年に原口元気さんに破られるまでは、浦和レッズの最年少ゴール記録でした。
ワールドユース
Jリーグデビューから頭角を現した永井雄一郎さんは、その年代の代表にも呼ばれるようになりました。
永井雄一郎さんの生まれた1979年には、小野伸二さんや稲本潤一さん、高原直泰さんなど、タレントのある選手が多くいました。
1997年に開催されたワールドユースでは、ベスト8に進出します。
1999年に開催されたU-20のワールドユースにも選出され、準決勝のウルグアイ戦で決勝点を挙げます。
この大会で永井雄一郎さんがいたU-20日本代表は、これまで男女どの世代の日本代表でも前人未到だった世界大会の決勝進出に大きく貢献し、チームは準優勝を果たします。
ポジション争い
ワールドユースの準優勝という輝かしい成績を残したにもかかわらず、チームはJ2に降格してしまいます。
永井雄一郎さんは希望の背番号「11」を背負って大活躍します。
持ち前のドリブルを生かした何人もの選手を抜き去ってのゴールや、3試合連続ゴールなどチーム最多のシーズン12得点を上げ、1年でJ1に復帰します。
翌年は新加入の外国人フォワードに背番号「11」を奪われますが、2トップの一角として6得点を挙げています。
ですがそれ以後は、外国人フォワードやかつての自分と同じ高卒新人フォワードの後に続く第4の選手としての扱いを受けることになります。
出場機会が少ないながらも、2003年にはJ1では自己最多の8得点を挙げる活躍をします。
それでも、フォワードとしての起用は少なく、サイドMFやトップ下で出場することになっていったそうです。
ですが、2006年の天皇杯決勝や2007年シーズンでの天王山などで鮮やかなゴールを決めており、ストライカーとしては非常に優れていることを証明しています。
ですが、2008年シーズン中に監督との確執が生じ、マスコミに対して監督やフロントに対する批判ともいえる発言をして以来、試合に起用されることはなくなっていきました。
移籍
2008年の監督との不和により、長年所属した浦和レッズを退団した永井雄一郎さん。
以後、J1やJ2のチームからオファーがかかるものの、すべて契約満了による退団か、戦力外として自由契約になるかのいずれかでした。
華々しい活躍をした選手であるがゆえに、当時と同様の活躍を周りは求めがちですが、年齢とともにパフォーマンスはどうしても低下しますし、故障も起こりやすくなります。
ですが、そういったことも含め「結果」が求められるのがプロというもの。
酷な話ですが、永井雄一郎さんがチームの期待に応えられなかっただけということなのでしょう。
2018年には神奈川県社会人リーグのチームに所属しています。
あと数年で40歳になる永井雄一郎さんにとっては、現役最後の活躍の場になるかもしれません。