シンガーソングライターの長渕剛さんは1987年に志穂美悦子さんと二度目の結婚をしました。
一度目は1981年に石野真子さんと結婚しましたが、離婚。
当時、離婚理由がかなり衝撃的だと話題になりました。
今回の記事では、
- 長渕剛さんと嫁・志穂美悦子さんとの馴れ初めや現在の夫婦関係
- 元妻・石野真子さんとの離婚理由
などについてまとめていきたいと思います。
目次
長渕剛と嫁・志穂美悦子は1987年に結婚
長渕剛さんと志穂美悦子さんは1987年8月29日に結婚。
当時、長渕剛さんは30歳、志穂美悦子さんは31歳でした。
志穂美悦子さんは当時、芸能活動をしていましたが、結婚を機に引退しています。
志穂美悦子ってどんな人?
志保美恵子さんは、18歳でアクション女優としてデビュー。
日本人初のアクション女優でした。
30歳の時には、今も語り継がれる映画『男はつらいよ』のマドンナ役に抜擢され、女優としてさらに成長を遂げました。
しかしその後、芸能界を引退。
現在は、フラワーアレンジメントなどを行い、花活動家として活躍しているとのことです。
馴れ初め
二人は1986年6月から放送されていたドラマ『親子ゲーム』での共演がきっかけで出会いました。
志穂美悦子さんが撮影中に左手小指の付け根を骨折し、長渕剛さんが付き添ったことで二人は親密な関係になったと言われています。
さらに、志穂美悦子さんは「役者さんにはない不思議な感覚を持ってて、そういうのがきっかけだったんですかね」と好きになった理由を語っていました。
志穂美悦子が空手で夫の暴力を封じた?
長渕剛さんは志穂美悦子さんと喧嘩になった時、つい手を出してしまったことがあるそう。
その時、志穂美悦子さんは後ろ回し蹴りをし、長渕剛さんの首筋にヒットしたという伝説を残しています。
凄いですよね・・・普通の家庭ではありえませんww
アクション女優とだけあって、体の動きは俊敏のようです。
そして志穂美悦子さんは、千葉真一さんに「夫を殺してしまったかもしれない」と泣きながら電話をしたのだと言いますwww
長渕剛さん、嫁に手を出すのは悪い事ですが、、ご無事で何よりですww
過去には、離婚危機の場面も
長渕剛さんと志穂美悦子さんは、これまで何度も離婚危機に陥っています。
まず最初の離婚危機は、結婚から約8年後の1995年。
長渕剛さんが大麻取締法違反により逮捕されてしまった時。
夫の逮捕により離婚の噂が流れ始めましたが、夫婦の危機はそれからでした。。。
なんと逮捕後、長渕剛さんが不倫をしていたのが発覚したのです。
しかも、そのお相手は元おニャン子クラブのメンバーであった国生さゆりさんでした。
長渕剛さんが逮捕されたことにより、国生さゆりさんは自ら記者会見を開いて不倫関係であることを認め、なおかつ関係を解消させることを公言します。
また、薬物反応も彼女からは検出されなかったことが明らかになっています。
逮捕に加えて不倫の事実が発覚したことで離婚危機であると噂されましたが、志穂美悦子さんはとても強い女性でした。なんと、長渕剛さんと国生さゆりさん、志穂美悦子さんの3人で対談を行ったのです。
トンデモ企画ですww
ちなみに、↑の国生さゆりさんの記者会見を開かせたのは実は、志穂美悦子さんだったんです。国生さゆりさんは女優生命の危機にさらされていましたし、志穂美悦子さんとしては旦那・長渕剛との夫婦関係を継続させる意思があった。
そこで、「一石二鳥!」とばかりに、マスコミの前で公言させることで、国生さゆりさんはその後も女優として活動ができましたし、長渕夫婦の関係も継続できたというわけです。
いやー、堂々としたものですねw
これら一連の騒動の後、長渕剛さんの女性スキャンダルはピタッと止まったのでした・・(笑)
子供は?
長渕剛さんと志穂美悦子の間には3人の子供が誕生しています。
1988年3月17日に第一子である長女、長渕文音さんが誕生。
母親と同じく、女優の道を歩んでいます。
映画『三本木農業高校、馬術部~盲目の馬と少女の実話~』のオーディションを受けて合格し、2008年にこの作品の主役としてデビューを果たしました。
さらに、過去には日本アカデミー賞新人俳優賞をも受賞するなど、現在期待されている女優の一人だということです。
1989年2月2日には第二子となる長男、長渕航さんが誕生。
学生時代は空手選手として活躍し、2007年に行われた第22回福島県空手道選手権大会の軽量級で優勝を果たしています。
現在は、空手の道ではなく❝WA航RU❞という名前でヒップホップのラッパーとして活躍。
ライブを中心にインディーズで活動をしているようです。
2015年にYouTubeで公開されたシングル『波に乗ろう』のPVに父親である長渕剛さんが登場。
さらに『同じ空の下』では姉である長渕文音さんが登場するなど、親子・姉弟の共演を果たしているようでした。
1994年2月28日には第三子となる次男、長渕蓮さんが誕生。
幼い頃から代の車好きで、10歳のときには鈴鹿で見たF1日本グランプリをきっかけにレーサーになることを決意しますが、2014年に練習中に事故を起こし怪我をしたことで翌年に引退しています。
その後、父親や兄と同じく❝ReN❞という名前でシンガーソングライターとして音楽の道に進みました。
父親の影響なのかギターは7歳から始めており、ループステーションを使用した一人での演奏で歌っているとのことです。
長渕剛と志穂美悦子の現在の夫婦仲
そして、長渕剛さんと志穂美悦子さんは現在も夫婦二人三脚で歩んでいます。
長渕剛さんはシンガーソングライターとして、志穂美悦子さんは花活動家として活躍を見せていますよ。
長渕剛と元嫁・石野真子は1982年に結婚
冒頭でも説明したように、長渕剛さんは一度離婚を経験しています。
1982年に女優である石野真子さんと結婚。
二人は1981年に交際宣言をし、婚約記者会見を行ったようです。
石野真子さんは当時20歳、アイドル歌手として人気絶頂でしたが、結婚を機に家庭に入ると決断し、芸能界を引退してしまいます。
石野真子ってどんな人?
石野真子さんは1961年1月31日生まれで、2021年現在60歳。
オーディション番組『スター誕生』をきっかけに芸能界入りを果たし、1987年には『狼なんか怖くない』でデビューをしました。
初めはアイドル歌手として活躍を見せていましたが、女優としての活動も多くなり、ドラマ『熱愛一家・LOVE』に出演。
1980年にリリースしたシングル曲『めまい』が好評。
その後、結婚を機に芸能界を引退しました。
しかし、約2年で離婚をした後、芸能界に復帰しています。
それからは、女優としての活躍著しく、ドラマから映画化までされた『花より男子』の牧野つくしの母親役を演じるなどお、数多くの作品に出演し活躍を見せています。
馴れ初め
二人はシングル『順子/涙のセレナーデ』が大ヒット中だった1980年に、ニッポン放送『オールナイトニッポン』でパーソナリティを務めていた長渕剛さんの希望を受けて、番組の構成作家であった秋元康さんが石野真子さんの出演をセッティングしたことがきっかけで出会いました。
番組内で二人は意気投合し、交際に発展したと言われています。
当時、長渕剛さんはラジオ番組で「石野真子のことが真剣に好きだ」と堂々の交際宣言。彼は嫁さんには家庭に入ってもらうことを望んでおり、石野真子さんも「結婚をしたらきっぱりと引退します」と公言していたようです。
結婚式
二人は1982年1月22日、ハワイで結婚式を挙げました。
挙式直後に行われたワイドショーテレビ番組『3時のあなた』の記者インタビューで長渕剛さんは「やっと自分のものになった。うちはもう亭主関白でいきます!」とコメントをしています。
亭主関白、、、、今では考えられないようなコメントですよね。
離婚理由
堂々と交際宣言をし幸せオーラ全開だった二人ですが、1983年5月に離婚。
離婚理由は長渕剛さんによるDV、不倫、嫁姑問題だと言われています。
なんと、結婚後は石野真子さんに暴力を奮っており、ある時は石野真子さんが台所で鼻歌を歌っていただけで、石野真子さんの頬を叩いたようでした。
この背景には、当時、長渕剛さんの母親が病気で寝込んでおり、長渕剛さんは気持ちの落ち着きがなかったのでしょう。イライラしていて、「母親が寝込んでいるのがそんなにうれしいのか!」と頬を叩いたとのこと・・・
どんな解釈やねん!って感じですよね・・・
ただ、こんなトンデモ解釈をするのもうなづけるなぁというのが、、、、、↑の週刊誌の画像にも記載されているように、長渕剛さんはマザコンで嫁姑問題も起こっていたとのこと。
不倫の事実はないようですが、これに耐えきらなくなった石野真子さんは離婚する約2ヶ月前から家を出ていたと言います。その後、彼女は吉田拓郎さんのご自宅でしばらく生活されていたようですね。
ロックなのにマザコンはキツいですね。。
二人は離婚後にトップテンで再会
離婚後、石野真子さんは芸能界に復帰。
『トップテン』で石野真子さんが司会を務めていた際に、長渕剛さんがスタジオに登場。
長渕剛さんの方から「元気?」と声を掛ける場面もありました。
ここで、二人は離婚後初めて再会を果たしたようでした。
いかがでしたでしょうか。
長渕剛さん、、、、様々な過去を経て今があるんですね。
志穂美悦子さんの人間としての強さには惚れ惚れしましたww
今後も長渕剛さんと志穂美悦子さん、石野真子さんの活躍を期待しています。