今回は俳優・タレントである宇梶剛士さんの嫁やブラックエンペラー時代、子供について取り上げます。
宇梶剛士の嫁の出身地は青森八戸?
さて、ファンならば気になるのが宇梶剛士さんの嫁ですよね。
実は宇梶剛士さんは20歳の時に一度結婚をしています。しかしその後離婚してしまい、一般人の女性と再婚しました。
再婚前に男の子を、再婚後に女の子を授かっています。
この嫁に関する情報ですが、今のところ全くと言っていいほどありません!
相手が一般人だけに、やはり宇梶剛士さんも情報を出さないように気を使っているのでしょうか?
もちろん、嫁の写真や画像なども一切存在しません。
宇梶剛士さんがどのような女性と結婚をしたのかが写真や画像があれば分かるのですが……
こればっかりは仕方ないですね。
宇梶剛士さんが嫁の写真や画像を公にしてたら逆にビックリですもんね(笑)
しかし、宇梶剛士さんの嫁が青森県の八戸出身であるとの噂が流れています。
この噂に関しては証拠がありませんが、火のないところに煙は立たないものですよね?
意外と信憑性があるのかもしれません。
また、子供の年齢が気になる方も多いとは思いますが、こちらに関しても情報がありません。
嫁同様、子供も一般人なのでしょうがないですね。
嫁との馴れ初めは?
嫁との馴れ初めについては、今のところ情報がありません。
しかし、宇梶剛士さんはとてもアイヌとの繋がりが深い方です。
母親の宇梶静江はアイヌの詩人・古布絵作家で、民族運動家でもある。
この事情から母は家庭不在のことが多く、青年期まで確執があったことや、高校での部活や学校の実態に対する反発が不良になった原因であると著書やメディアで自ら述べている。
浦川治造は叔父に当たる。
上記にもあるように生い立ちとアイヌとの関わりが深いことから、北海道白老郡白老町にあるアイヌ民族博物館内でのアイヌ文化の紹介VTRに進行役として出演している。
また、叔父である浦川を追ったドキュメンタリー映画「カムイと生きる」のナレーションも務めている。
そのため、宇梶剛士さんもアイヌ民族の継承者です。
なので、嫁もアイヌ人か、またはアイヌに対して深い理解がある方なのでは?というのが大方の見方です。
ファンとしては、嫁との馴れ初めについて知りたかった。
いつか馴れ初め話をしてくれないものでしょうか。
意外と馴れ初めはアイヌ繋がりかもしれないですね!
宇梶剛士について
別名義:津村 浩
生年月日:1962年8月15日(54歳)
出生地:日本・東京都新宿区
身長:188cm
血液型:B型
職業:俳優、タレント
ジャンル:映画、テレビドラマ、舞台
活動期間:1981年 –
配偶者:既婚
著名な家族:宇梶静江(母)
浦川治造(叔父)
宇梶剛士さんは多くのドラマや映画に出演した有名な俳優です。
物静かな顔に見えますが、実は昔はヤンキーでした。
どうも若い頃は数々の伝説を打ち立てていたみたいですよ。
宇梶剛士の若い頃
宇梶剛士さんは若い頃大柄だったこともあり、野球選手として業界から有望視されていたアスリート少年でした。
拓殖大学第一高等学校では野球部に所属し、大柄だったこともあり「将来の有望選手」としてプロ球団のスカウトが宇梶を見に何回か足を運びに来たほどの実力であった。
しかし野球部内でトラブルが続き、ついには暴力事件を起こしてしまいます。
だが、その高校時代に友人達と暴力事件を起こし逮捕され、少年鑑別所に入所。
出所後に高校を中退し、暫く叔父のいる北海道浦河郡浦河町や二海郡八雲町で労働機会を得るも更生できず、東京家庭裁判所からの呼び出しを口実に帰京。
その後は暴走族に加わり、当時日本最大組織とされたブラックエンペラーの三多摩地区のヘッドから後に7代目名誉総長となり、この時代に得た一生の友のことをテレビ番組で度々熱く語っている。
同じく元暴走族のヒロミも「僕らがガキだった頃、とんでもなく有名だった人」とコメントしている。
そして暴走族同士の抗争で再び逮捕。
家庭裁判所へ送致され、少年院へ収容。
今は優しげな宇梶剛士さんも、昔はかなり尖ってたみたいですね(笑)
当時のメンバーからは「基本的には優しく、自分から仕掛けない人。でも、卑怯なやつには、ブチ切れると死ぬほど恐ろしい」といわれ、人望も強かった宇梶剛士総長。
ワルでありながら、自分なりの筋を通すスタイルが、2000人ものメンバーがついてきた理由でしょう。
しかし、自分のスタイルを貫き通す姿は、今も昔も変わらないですね。
また、宇梶剛士さんは当時のことをこう語っています。
よく「心が空っぽになる」っていうじゃない。
それまでは野球だけだったから、そんな感じで心がズコーンと抜けたようだった。うちに帰ると、怒りや憎しみで苦しくなるから、最後の一人が帰るまで、コンビニの前とかでたむろしていた。
些細なトラブルから大好きだった野球を奪われてしまった宇梶剛士さん。
もし学生時代に野球を続けられていたら、メジャーリーガーにでもなってたかもしれませんね(笑)
ブラックエンペラー時代の伝説とは?
宇梶剛士さんは、ブラックエンペラー時代に数々の伝説を残してるとのことなので、その伝説を見ていきましょう。
・身長190cmの大きな体と大声に、大抵の相手は戦う前に戦意喪失していた。
・決して自分からは手を出さず、正面から挑んでくる相手には手加減もする。
喧嘩のカタが付くとその場に正座させて説教する。・武器を使ったり闇討ちしてくる卑怯な連中には、半ごろし、顔面根性焼き、湖に投げ込むなど容赦のない制裁が加えられた。
・4輪の免許を取るため、教習所に通っていた時の話。単車で教習所から帰ろうとした時、無知なツッパリが宇梶の運転をからかった。
宇梶は無言で単車を降りると、その場にいた全員をボコボコにして正座させ、その後毎日教習所まで送迎させた。
正義感が強い方なのですね!
・300~400人を引き連れて湘南で暴走していたところ、地元の暴走族1000人と一触即発の事態に。
ところが、宇梶の部下は全員ビビッて敵前逃亡し、1000対1という構図になってしまう。気持ちで負けていなかった宇梶が前に一歩前に出ると、相手が全員一歩引いた。
それを見た宇梶は特攻。前方にいた20人ほどを瞬殺すると、相手は一目散に逃げていったという。・漫画「疾風伝説 特攻の拓」の「鰐淵春樹」は宇梶剛士がモデルだと言われている。
宇梶剛士さんは相当ケンカが強かったことでしょう!
ちなみに氷室京介さんは、元ブラックエンペラー群馬支部です。