古舘伊知郎は嫁・松尾美樹とかつて離婚危機も!子供は娘2人と息子・古舘佑太郎 | 芸能人の嫁特集!

古舘伊知郎は嫁・松尾美樹とかつて離婚危機も!子供は娘2人と息子・古舘佑太郎

今回の記事では、古舘伊知郎が結婚いた奥さん、そして子供たち、家族についてご紹介していきます。

古舘伊知郎の妻・松尾美樹とは?年齢やプロフィールを徹底解説

古舘伊知郎さんは1954年12月7日生まれで、2023年で69歳を迎えます。彼はフリーアナウンサーとして長いキャリアを持ち、1987年7月7日に一般女性と結婚しました。

そのお相手は、元日本航空(JAL)の客室乗務員、松尾美樹さんです。美樹さんは古舘さんより5歳年下で、1961年ごろの生まれとなり、2023年時点で62歳となります。

1980年代、JALの客室乗務員は「スチュワーデス」と呼ばれ、当時の女性が憧れる花形職業でした。高倍率の中で選ばれるほどの美しさと才能を持った彼女が、古舘さんの妻となったことからも、彼女の魅力が際立っています。

古舘さんが32歳、美樹さんが27歳のときに挙げた結婚式は、7月7日というロマンチックな七夕の日に執り行われ、結婚披露宴も華やかに行われました。

披露宴の写真には、古舘さんと白いドレス姿の美樹さんが並び、美しい新婦の姿が印象的です。

彼女は、165cm前後のスラリとした体型で、当時の写真でもその美貌がうかがえます。

結婚当初から美樹さんはテレビやメディアに登場することはほとんどなく、自ら進んで表に出るタイプではないようです。

しかし、結婚式のインタビューで「わがままなタヌキと、したたかなキツネの化かし合いが、お茶目に繰り返されるような家庭がいいですね」と答えたエピソードからも、ユーモアと機知に富んだ性格が感じられます。

一方で、彼らの結婚生活には困難もありました。2004年に古舘さんが「報道ステーション」のメインキャスターに就任してからは、平日は深夜帰宅が常態化し、家族との時間が減少。家庭の責任を一手に引き受けることになった美樹さんは、次第にストレスを抱え、最終的には判を押した離婚届を古舘さんに突きつけるという事態にまで発展しました。

この出来事がきっかけとなり、古舘さんは報道ステーションを降板することを決断し、夫婦関係は修復されました。

このエピソードは、美樹さんの強い意志と古舘さんへの深い愛情を象徴しています。

さらに、かつてアルフィーの高見沢俊彦さんを自宅に招いた際、ロングヘアの高見沢さんを女性と勘違いし、「あんた何やってんの!」と声を上げたという、ほほえましいエピソードもあります。

勘違いから来る嫉妬も、古舘さんを愛しているからこその行動といえます。

これらのエピソードからわかるように、松尾美樹さんは古舘伊知郎さんをしっかりと支え、ユーモアと強さを兼ね備えた魅力的な女性です。

 

古舘伊知郎と妻・松尾美樹の馴れ初めは?知られざる出会いのエピソード

古舘伊知郎さんと松尾美樹さんの馴れ初めについて、さらに詳しくご紹介します。

 

出会いの舞台は飛行機の機内

1980年代、古舘伊知郎さんはすでに人気アナウンサーとしての地位を確立していました。

特に「プロレス実況」でその名を轟かせ、鋭いトーク力とユーモアで「言葉の魔術師」とも称されていました。一方、松尾美樹さんは当時JAL(日本航空)の客室乗務員として働いており、国際線での勤務が中心でした。

1980年代後半、古舘さんは仕事でハワイに向かうため、JALの国際線に搭乗。松尾さんが客室乗務員として担当していたフライトでした。

古舘さんはそのフライト中、美樹さんに一目惚れ。美樹さんの気品ある接客や、美しさ、そして冷静さに魅了され、彼は持ち前のトーク力を活かして、空の上で声をかけました。

通常、キャビンアテンダントは仕事中に乗客から声をかけられることが多く、それを上手に受け流すことが求められる職業です。

しかし、古舘さんはプロレスの実況を通じて鍛え上げた巧みな話術と熱意で、美樹さんに強い印象を残したと言われています。

フライト中の限られた時間の中で、古舘さんは自分の魅力を最大限にアピールし、最終的に二人は連絡先を交換することになりました。

恋愛から結婚に至るまでの軌跡:交際期間やプロポーズの秘話

飛行機を降りてからも二人は連絡を取り合い、徐々に親交を深めていきました。ハワイ行きのフライトで知り合ったことから、二人の出会いは「運命的なもの」と感じたとも言われています。

松尾美樹さんは、華やかな芸能界とは距離を置いて生活していた一般の方であり、古舘さんはその慎ましい魅力に惹かれ、彼女との関係を大切にしていたそうです。

 

近藤真彦や中森明菜も列席した結婚式!華やかな披露宴の様子

1987年7月7日、古舘伊知郎さんと松尾美樹さんは「日本基督教団高輪教会」で結婚式を挙げました。この教会は歴史的な建物で、品格ある雰囲気の中で行われた結婚式は非常に話題となりました。

当時、古舘さんはすでに人気アナウンサーとしての地位を築いており、そのため披露宴には多くの有名人が出席しました。

特に注目を集めたのが、当時交際が噂されていた歌手の近藤真彦さんと中森明菜さんが、同じテーブルに座っていたことです。

この話題性ある配席は、古舘さんらしいユーモアを感じさせるエピソードです。

仲人を務めたのは、当時「夜のヒットスタジオ」で共演していた司会者の芳村真理さん夫妻で、華やかな結婚式となりました。

披露宴には、多くの芸能関係者やアナウンサー仲間も招待され、芸能界でも注目されたイベントとなったのです。

 

古舘伊知郎のユニークな配席とそのエピソード

結婚式の披露宴で、古舘さんが噂のカップル、近藤真彦さんと中森明菜さんを同じテーブルに座らせたという配席も、彼の独特なユーモアとサービス精神が表れていると言えるでしょう。

通常、こうした場では避けられがちな「噂のカップル」を隣同士にする配慮が求められる中、古舘さんはあえてその逆を行ったことが、メディアでも話題になりました。

このエピソードは、彼の飄々とした性格や、場を盛り上げる能力の高さを示しています。

 

古舘伊知郎の家族構成と子供たち

古舘伊知郎さんと奥さんの間には3人の子供がいます。そのうち、長男は歌手・俳優として活躍している古舘佑太郎さんで、娘さんが2人いらっしゃいますが、2人とも一般の方です。

 

長男・古舘佑太郎の活躍:バンド活動からドラマ出演まで

 

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長男の古舘佑太郎さんは、1991年4月5日生まれで、2023年時点で32歳になります。慶應義塾幼稚舎から慶應義塾高校まで通い、高校時代にロックバンド「The SALOVERS」を結成し、2010年にメジャーデビューを果たしましたが、2015年に無期限活動休止。

その後はソロ活動を始め、俳優としても活動しています。2014年には俳優デビューし、朝ドラ「ひよっこ」にも出演しました。

また、2023年には父・古舘伊知郎さんが初めて佑太郎さんのライブを観に行ったエピソードが話題となっています。父親とは異なる道を歩み、自らの力で芸能界で活躍していることを尊重されています。

古舘伊知郎さんは、息子の芸能活動に対して「反対はしないが、応援もしない」と語っており、息子が自立して成長できるようにという姿勢を貫いています。

 

朝ドラ「舞いあがれ!」の出演についての誤解

古舘佑太郎さんが2022年後期のNHK朝ドラ「舞いあがれ!」に出演していると一部で噂されていますが、実際には彼の出演は確認されていません。

この噂は、同じ名字を持つ俳優・古舘寛治さんが出演していたために生じた誤解とされています。

佑太郎さん自身は「舞いあがれ!」ではなく、2017年前期の朝ドラ「ひよっこ」に出演しています。

結婚と熱愛の噂

2023年6月現在、古舘佑太郎さんは結婚しておらず、独身とされています。

過去にピアノ弾き語りアーティストの川崎レオンさんとの熱愛が噂されたことがありましたが、信ぴょう性の高い証拠はなく、この噂はデマの可能性が高いとされています。

 

娘2人の詳細プロフィール

古舘伊知郎さんには2人の娘さんがいて、次のような情報が知られています。

 

長女

  • 生年月日: 1988年生まれで、2023年現在35歳になります。
  • 名前: 「麻美さん」という名前が噂されていますが、真偽は確認されていません。
  • 職業: 芸能界に入ることは避けており、アパレル業界に勤めているとの噂があります。しかし、この情報も確定的ではなく、あくまで推測に過ぎません。
  • 結婚: 長女はすでに結婚しており、古舘伊知郎さんがその結婚式の司会を務めました。これは古舘さん自身が志願して行ったもので、感情的になって涙を見せるのが恥ずかしかったため、司会としての役割に集中することで涙をこらえようと考えたためです。司会業のプロとして、娘の結婚式でも冷静さを保つための一策だったといいます。

 

次女(カオリ)

  • 生年月日: 1989年生まれで、2023年現在34歳になります。
  • 名前: 「カオリさん」という名前は、2019年2月26日のTBSラジオ「たまむすび」で明かされました。
  • 親友: カオリさんは、同番組のパーソナリティであるアナウンサーの吉田明世さんと親友です。2人は小学校1年生から大学まで同級生で、成城学園に通っていたことが確認されています。吉田さんはカオリさんを「一番の親友」と呼んでおり、長い付き合いであることが伺えます。
  • 職業: 大学時代にはマスコミ志望であったことが知られています。吉田明世さんとともに、古舘伊知郎さんにパレスチナ問題について教えてもらったこともありました。古舘さんがキャスターを務めていた「報道ステーション」の後、夜中の2時に自宅で2人に講義を行ったそうですが、吉田さんはすぐに寝てしまったというエピソードもあります。この出来事から、古舘さんは吉田さんに「報道は向かないかも」と冗談を交えながら指摘したといいます。次女がマスコミ関連の仕事に就いたかどうかは明確ではありませんが、志望していたことから、その方向に進んだ可能性は高いです。
  • 結婚: 次女も結婚しており、彼女の結婚式の司会も古舘伊知郎さんが担当しました。こちらも長女の結婚式と同様、古舘さんが自ら志願して司会を引き受けた理由は、「父親として娘の結婚式で泣いてしまうのが恥ずかしいから」というものでした。司会として割り切ることで、感情を抑えられると考えたようです。

 

古舘伊知郎さんが娘たちの結婚式で司会を務めた理由

古舘伊知郎さんは、2人の娘さんの結婚式で司会を担当したエピソードをいくつか明かしています。

古舘さんにとって、司会を引き受けることは感情的になることを避ける手段でした。

プロとしての司会業を続けている彼にとっては、司会者としての立場に徹することで、父親としての涙を見せることを避けたかったようです。

 

結婚式の進行中には、以下のような工夫をしていたといいます:

  • 「新郎のお父様のご挨拶」という場面で、「新婦の父親である司会者は、今この金屏風の前に位置しております」と、まるで他人事のように自身を紹介しつつ、スムーズに式を進行させたそうです。この一人二役の演出に共演者や出席者の笑いを誘ったという話があります。
  • また、花束贈呈の際も、自ら誘導し、司会者として冷静に役割をこなしながらも、感情を抑える努力をしていたようです。このようなユーモアとプロ意識が結婚式を一層和やかな雰囲気にしたことでしょう。

かつては離婚危機も!?古舘伊知郎と妻・松尾美樹の結婚生活と家庭環境

古舘伊知郎さんと奥さんのエピソードを掘り下げてご紹介します。

 

報道ステーション降板の裏にあった夫婦関係の危機

古舘伊知郎さんが12年間務めた「報道ステーション」を降板した背景には、彼の妻であるAさん(奥さん)からの強い訴えがあったことが知られています。

報道番組のキャスターという仕事は、極度のストレスと多忙なスケジュールを伴います。

特に「報道ステーション」は月曜から金曜までの夜間の生放送が中心で、古舘さんの帰宅はいつも深夜。さらに、土日も資料の読み込みや取材、他の仕事に追われ、家庭にほとんど時間を割くことができませんでした。

奥さんは、その間、家庭のすべてを一人で支える立場に立たされ、家事や育児だけでなく、夫の不在に伴う精神的なプレッシャーとも向き合わなければなりませんでした。

しかも、夫のキャスターとしての仕事が非常に重要で影響力のあるものであるため、彼の過労や疲労困憊ぶりを目の当たりにしながらも、彼に相談することや支えを求めることができなかったというのです。

このような状況が続いた結果、奥さんはついに「降板してほしい」と古舘さんに訴えましたが、古舘さんは当初、まだ仕事を続ける意志を持っていました。

「久米宏さんは18年間続けた。自分も東京五輪までは続けたい」と考えていたのです。

しかし、奥さんが最終的に離婚届を突きつけ、印鑑を押して渡すという事態に発展。これにより、古舘さんも仕事を続けることが家族との関係に重大な悪影響を及ぼしていることを痛感し、折れて降板を決断したとされています。

古舘さんにとっては、家族との絆が何よりも大切だったのでしょう。

 

高見沢俊彦とのプロレスごっこ事件

もうひとつ、古舘伊知郎さんと奥さんの間で起きた面白いエピソードとして、「高見沢俊彦とのプロレスごっこ事件」があります。

ある晩、古舘さんは親友であるTHE ALFEEの高見沢俊彦さんを自宅に招き、二人でプロレス観戦を楽しんでいました。プロレスファンとして知られる二人は、試合に夢中になり、やがて試合中の技を掛け合う形で興奮が高まったそうです。

そんな中、高見沢さんが古舘さんに技を仕掛け、ちょうど高見沢さんが古舘さんの上に覆いかぶさるような姿勢になっていたところで、奥さんが部屋に入ってきました。

高見沢さんは真っ赤なロングヘアを持ち、遠目から見ると女性に見えるため、奥さんは一瞬「夫が自宅で女性とイチャイチャしている」と勘違いし、激怒して「何やってんの!」と声を上げたのです。しかし、よく見ると相手は高見沢俊彦さんだったというオチがつきました。

このエピソードは、夫婦間のユーモラスなエピソードとして広く知られており、古舘さんの話術と高見沢さんのユニークなキャラクターが際立つ出来事です。

古舘さんの家庭生活は、報道ステーション降板の理由にあるような深刻な側面もあれば、このような笑いを誘う面白い一面もあることがわかります。

 

家族の絆の再構築

最終的に古舘さんは報道ステーションを降板し、再びエンターテインメントの世界に戻ることで、自由な活動を楽しむようになりました。

また、報道番組というストレスフルな環境から解放されることで、家族との時間をより大切にすることができ、夫婦関係も改善したと言われています。

古舘さんにとって、仕事と家庭のバランスを取ることは容易ではなかったものの、最終的には家族の絆が優先され、その結果として良い方向に進んだのではないかと思われます。

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