今回は、世界一のワインソムリエであり、料理評論家としても活動している「田崎真也」さんの嫁や娘について調べてみましょう。
病気の噂や年収についても調査します!
田崎真也の嫁について
1977年にワインの勉強のために本場フランスへと渡った田崎真也さん。ワインの産地として有名なブルゴーニュ地方やボルドー地方のワインの蔵元を渡り歩きました。
一度帰国をして資金を貯め、1978年6月に再びフランスへ渡り、日本料理店で働きながらワインの専門学校へ通いますが、この頃フランスで妻となる女性と出会いました。
現地でメイキャップアーティストとして働いていた妻(日本人)と知り合って、21歳のときに結婚
田崎真也さんは1958年生まれなので、21歳ということは1979年に結婚をされたようですね。まだソムリエとして修業中の若いころにご結婚されたんですね。
ソムリエ学校を卒業した田崎真也さんは、結婚した翌年の1980年に日本に帰国し、その3年後「全国ソムリエ最高技術賞コンクール」で見事に優勝を果たしました。
さらに、その8年後の「第8回世界最優秀ソムリエコンクール」では、なんと日本人初の優勝を勝ち取ります。
このような快挙のおがげもあり、日本にワインブームをもたらすことに成功した田崎さんですが、その陰にはきっと奥さんの支えが影響していたことでしょう。
奥さんは一般のかたのため、写真や情報はほとんどありませんでしたが、うわさによるととてもきれいな女性なんだそうですよ。
田崎真也と嫁の娘について
1981年、田崎真也さんと奥さんの間に第一子となる女の子が誕生しました。
ところが1歳のときに白血病にかかってしまい余命3か月と宣告されます。治療費が月収を上回ることもあり、借金が1000万円にも膨れ上がりました。そのため、銀座のレストランから日本料理店へと転職をしたそうです。
当時の心境を、田崎真也さんの父・英時さんが語っていました。
「3カ月の命と宣告されながら3歳まで生きたのですから頑張りましたよ、孫も真也も。翌年に次女が生まれ、救われた気がしました。」
わずか3歳で、天国へと旅立った娘を見送る親としての辛さは計り知れませんね。1985年には次女が誕生し、田崎家へ笑顔が戻りました。
娘さんは6歳の時にフランスの学校へ行きたいと言い、10歳の時にインターネットから行きたい学校を探してきたんだとか。
娘さんの意思で、10歳でフランスの学校へ進学したとも言われています。
田崎真也の年収は?
世界で活躍する有名ソムリエの田崎真也さんの年収はいくらくらいなのでしょうか?
勤務先や勤務地域によって異なるのでひと括りにはできないものの、ソムリエの年収の平均は300万円~600万円程度です。初任給が20万円前後と、平均的な給与イメージでよいでしょう。
一般的なソムリエの平均年収は300万円~600万円くらいのようですが、世界一のソムリエともなるとおそらくその何倍もの年収になると思われます。
また、田崎真也さんは、ソムリエとしてだけではなく、料理評論家やタレント業・俳優業など多方面で広く活躍されています。
2004年の取材では次のように答えていました。
(若いころから)月々2万みたいな貯金の仕方はできない、そんなことしたって、1年で24万、20年で500万にもならない。
だったら、10年後に5000万の年収になってやろう、そのために、自分に投資しようと考えて、ワインや食事にかけてきた。
お金は、何のために使うか、いつまでに貯めるかがなくちゃ、って。
田崎真也さんの実際の年収は公表されていないのでわかりませんが、田崎さんの幅広い活躍から推測したところ、おそらく2004年当時に語っていた、「10年後に5000万円」の目標は軽く達成しているのではないでしょうか?
田崎真也の病気の噂について
田崎真也さんについて調べてみると、「田崎真也 病気」という関連キーワードが出てきます。そこで、田崎真也さんの病気のうわさについて調べてみました。
ところが、田崎さんが病気だという事実は見つかりませんでした。ではなぜ「田崎真也 病気」というワードが出てくるのでしょうか?
もしかしたらこの写真が原因なのかもしれません。
これは、TBS日曜劇場「ブラックペアン」第3話で田崎さんが俳優デビューした時の撮影風景を写したものです。田崎さんはこのドラマに、重い病気で入院してくる患者役で出演されました。
還暦の俳優デビュー。パジャマ姿でベッドに横たわるシーンなどの撮影を存分に楽しんだ。
ドラマの中では重い病気を患っていたようですが、実際の田崎真也さんは、60歳とは思えないダンディーな姿で、まだまだ元気に活躍されているようです!