今回は戦後、歌手としてだけではなく、俳優やタレントとしても活躍されていたミッキー・カーチスさんと奥様、息子さんの他に、矢沢永吉さんとの関係についてまとめました。
ミッキー・カーチスについて
まずはミッキー・カーチスさんについて調べていきます。
ミッキー・カーチスさんはワタナベエンターテイメントに所属しており、事務所の中では最古参の方です。
ミッキー・カーチスさんは1955年、和光高等学校在学中にティーブ・釜萢さんが校長を務めた「日本ジャズ学校」に通いジャズを学びました。
ミッキー・カーチスさんは、最初はアメリカ軍などのキャンプなどを回り音楽活動をしていたそうです。
その後、徐々に音楽活動が認められ、ロカビリー歌手として活躍。
日劇ウエスタンカーニバルにも出演し高い人気があったそうです。
日劇ウエスタンカーニバルは音楽のフェスティバルで当時は日本最大級だったそうです。
ロカビリーとはロックの種類のひとつで、最も有名な曲のひとつであるリッチー・ヴァレンスの『La Bamba』は誰しも一度は耳にしたこともあるのではないでしょうか。
聴いているとなんだかツイストダンスを踊りたくなるハッピーな曲が多いですよね。
ミッキーさんは平尾昌晃さん、山下敬二郎さんと共に「ロカビリー3人男」として高い人気を誇り、1960年には第11回NHK紅白歌合戦に出場されました。
日本におけるロカビリーの一時代を築かれたミッキーさんの功績は非常に高いと思われます。
また歌手活動だけではなく、俳優として『スワロウテイル』に出演されたり、落語家として『立川一門会』に入団されていたりと様々なところで多彩な才能を開花されていらっしゃいます。
ミッキー・カーチスの嫁について
そんなミッキーさんの奥様とは一体どのような方なのか気になります。
ミッキーさんは結婚を三度されており、現在の奥様とは2008年にご結婚されています。
お相手は33歳年下のピアノ講師をされている梶山陽子さんという方だそうです。
かなりの年の差婚ですね。
出会いは、ミッキー・カーチスさんのナンパだそうです。
2007年5月、東京の白金で散歩をしていた現在の嫁と出会い、動物の話で盛り上がり、ミッキー・カーチスさんが自分のメールアドレスを渡したそうです。
嫁はピアノ講師なので、音楽が共通の話題になったとのこと。
ミッキーさんは俳優活動の役柄的にも「若者の味方」役が多いですし、プライベートでも若々しくいらっしゃるようですね。
なかなか70歳手前になってナンパをしようと思う方は少ないのではないでしょうか。
ちなみに一度目の結婚は1961年に女優の芳村真理さんとで、二度目の結婚がタレントの西野美代子さんです。
また初めの結婚前にも女優の雪村いづみさんと浮名を流すなど、恋愛面でも世間を騒がせていたようです。
ミッキー・カーチスの息子について
ミッキーさんには芳村さんとの間にひとり、西野さんとの間にふたりの息子さんがいらっしゃいます。
芳村さんとの間に誕生した子供は元歌手で俳優の大伴修さんですが、現在は引退し会社員をなさっているそうです。
大伴さんは2001年に知人に覚〇剤を譲渡した容疑で逮捕されたことがあったそうです。
ミッキーさんの影響か、息子さんも歌手活動をされていたんですね。
それでも覚〇剤はダメですね。
そして西野さんとの間にも2人の息子さんがいらっしゃいます。
長男で元ミュージシャンの加千須ユージンさん、次男はベーシストのトム・カーチスさんです。
長男の加千須ユージンさんはいしだ壱成さんたちとバンドを組んでいましたが、こちらも覚〇剤取締法違反で逮捕されていました…。
息子さん方はどうやら音楽で華々しい活躍をされたというよりは、あまりよろしくない事に手を染めてしまったようですね。
次男のトム・カーチスさんはベーシストとのことで検索してみましたが、「ワイトロックベイビーズ」というバンドで活動されていました。
ただ情報が2015年までのものしかなく、現在は活動されていないと思われます。
ミッキー・カーチスと矢沢永吉との関係について
ミッキーさんがかつてプロデュースしたアーティストに矢沢永吉さんがいます。
矢沢さんといえば今でこそ「世界のYAZAWA」と呼ばれるほどの人物ですが、下積み時代は「キャロル」というバンドを組んでいました。
自宅でミッキーさんがとある音楽番組を見ていた時にそのキャロルが出演されていました。
ミッキーさんは、彼らの演奏に衝撃を受けると同時に「これだ!」と直感したそうで、生放送中にも関わらず番組プロデューサーに「レコーディングしたいから、彼らを(先約がかかる前に)押さえておいてほしい」と伝えたのだそうです。
実はこの時、番組に出演していた内田裕也さんも、ミッキーさんより一足早く番組本番後にオファーをしていたそうで、矢沢さんはミッキーさんか内田さんかで迷われたそうですが、デビューまでの話が具体的なミッキーさんを選ばれたのだそうです。
なんとミッキーさんと内田さんで矢沢さんを取り合いしていたとは…なんとも豪華なお話ですね。
それだけ矢沢さんの魅力が他の追随を許さなかったのでしょう。
そして番組出演後わずか10日後に「日本フォノグラム」(現在のユニバーサルミュージック)と専属契約を結んだキャロルは、ミッキーさんのプロデュースのもと、12月25日にデビューすると、人気爆発!
社会現象になるほどのブームを巻き起こしたのでした。
やはりその目に狂いはなく、大ブームを巻き起こしたようですね。ここから世界の矢沢が誕生したと思うと、なんだか胸が熱くなってきますね。
しかし、皮肉なことに売れれば売れるほど矢沢さんの不満は大きくなっていきます。
というのも、この契約でキャロルは通常より不利な契約を結んでいて、売れれば売れるほどミッキーさんと日本フォノグラムへの印税が増える仕組みだったからです。
矢沢さんは「日本フォノグラムは、アーティストとして俺の気持ちを無視してきた。
オリジナルアルバムは3枚しかないのに、キャロルの承諾もなしに曲順を変えて、さもニューアルバムのように見せかけて新しいアルバムを作ってきた。そんなイカサマ商売をしてきた。
何度もイメージが悪くなるからやめてくれと言っても、お前らに言われる筋合いはないと無視してきた。
俺は日本フォノグラムは絶対に許さない。」
確かにファン心理としては新しいアルバムは絶対に買いたい!と思って買ってしまいますが、それがすべて知っている曲で構成されていると、キャロルに不満を持つ方も出てきますよね。
矢沢さんはミッキーさんにというよりは日本フォノグラムに対して怒りをあらわにしていますが、結果的にミッキーさんとも疎遠になってしまったようですね。
ミッキーさんが特に矢沢さんを騙したというわけではなく、当時はこのような不当な契約が普通だったようで、誰も文句を言わず飲んでいたところ矢沢さんだけが対抗されたようです。
今では当たり前になっている「アーティストの権利」も、矢沢さんが先駆者だったのかもしれませんね。
これこそ矢沢さんが崇拝され愛される所以ではないでしょうか。
ロックとは何か?と音楽界隈でたまに議論されますが、ロックとは「矢沢永吉である」と言っても過言ではないかもしれません。
しかし2016年にはミッキーさんは矢沢さんの娘である矢沢洋子さんのバンドのレコーディングに参加されていました。
ミッキーさんは今日は矢沢洋子ちゃんと一緒だった!
明るくて可愛い子だったよ!
お父さんがよろしくと言っていたと!
と、矢沢さんからお礼があったことを明かされていましたので、時を経て、ミッキーさんと矢沢さんは良好な関係を築かれたようですね。
これは嬉しい限りですね。