星野仙一の嫁は星野扶沙子。画像あり!死去や死因について! | 芸能人の嫁特集!

星野仙一の嫁は星野扶沙子。画像あり!死去や死因について!

今回は元プロ野球選手で監督の星野仙一(ほしの せんいち)さんについてみていきましょう。

 

星野仙一の嫁は?

星野仙一さんといえば、現役時代は中日ドラゴンズでエースを務め、現役引退後は中日ドラゴンズ・阪神タイガース・東北楽天ゴールデンイーグルスで監督を務めた名監督ですね。

2015年より2018年1月4日にこの世を去るまでは、株式会社楽天野球団取締役副会長を務めていた星野仙一さん。

その奥さんにまつわるエピソードについて調べてみました。

 

星野扶沙子(ほしの ふさこ)夫人

2人は大学時代に知り合い、当時慶應義塾大学の3回生だった扶沙子さんが、知人の紹介で神宮球場にまんじゅうを差し入れしたのが馴れ初めだったとか。

画像をみても和服が似合う美人といった雰囲気なので、星野仙一さんの一目惚れだったようですね。

大学卒業後、星野仙一さんはドラフト1位で中日へ入団し、プロ1年目のシーズンが終わった1969年12月に結婚しています。

その後2人のお子さんに恵まれており、次女が結婚する際に夫の実家から「星野家が途絶えるのは惜しい」ということで、次女の夫が星野家に婿養子に入ることを提案されています。

星野仙一さんもこれを受け入れたため、現在は次女の夫が星野の姓を継いでいるようです。

 

死去や死因?

星野仙一さんの妻・扶沙子さんが急逝したのは20年前の1997年1月31日のことでした。(享年51歳)

死因は白血病に併発する肺出血で、扶沙子さんは7年間の闘病生活の末、息を引き取ったのだ。

現役時代の星野さんは特に目立った成績こそ残していないが「打倒巨人」を胸に奮闘。

巨人戦では特に闘志を燃やし、結果35勝を挙げるなど中日のエースとして活躍した。

1982年に現役を退いた後は、野球解説者としての毎日を送っていたが、87年に球団からの要請があって中日監督に就任。

監督に就任して2年目に優勝するのだが、いよいよ今日勝てば優勝、という試合の直前に扶沙子さんが倒れたのだ。

当初、扶沙子さんはただの貧血という診断でしたが、翌年の春に扶沙子さんに悪性のリンパ腫があることが判明します。

1990年夏には、医者から「もって1年か2年の命」と告げられてしまいます。(病名は死因に直結する白血病)

このとき星野仙一さんはユニフォームを脱いで妻の看護に専念しようか迷ったといいます。

しかし、自分に出来ることといえば野球だけ。

しかも、チームが勝てば扶沙子さんも生きる励みになるはずだと思い、仕事を続けることを選択します。

それは扶沙子さんの望みでもあったのでしょう。

中日星野仙一監督(50)が初めて人前で泣いた。

前日1月31日に最愛の妻、扶沙子(ふさこ)夫人(享年51)を亡くした同監督はキャンプインの1日、気力を振り絞ってナゴヤ球場のグラウンドに立ち、笑顔でナインに檄(げき)を飛ばした。

しかし、午後7時から名古屋市千種区の日泰寺・普門閣で行われた通夜では「こよなく名古屋を愛し、私以上にドラゴンズを愛してくれた」と涙を流した。

なお告別式は今日2日、同所で行われ、中日の全選手が参列する。

星野仙一監督は現役引退時も泣くことはなく、常に凛としている方でしたが、最愛の妻の死に悲しみをこらえるのも限界だったようです。

練習を前に星野監督はナゴヤ球場の外野に全選手、スタッフを集めた。「オレのことでいろいろ迷惑をかけてスマン」。

そうあいさつすると、ナインの間からはすすり泣きも漏れた。しかし、指揮官は泣かなかった。

夫とともに闘ってきた扶沙子夫人は、白血病という難病の前に51歳という若さで亡くなってしまいました。

もっと星野仙一監督が活躍するところを見たかったでしょう・・・

天国で安らかに眠ってほしいですね。

 

名将・星野仙一の死

星野仙一さんが1月4日に亡くなっていたことを球団側が発表しました。(享年70歳)

楽天・星野仙一球団副会長が、4日午前5時25分に膵臓(すいぞう)がんで死去していたことが6日、球団から発表された。70歳だった。

死因は膵臓がんで、星野仙一さんは2016年7月に急性膵炎を発症したことをきっかけに、膵臓がんが発覚したといいます。

昨年12月末から病状が悪化したとのことだが、10月26日に行われたドラフト会議から異変を感じさせる様子だったとか。

夏になるくらいから痩せ始めているのが目立ち、秋ごろには足元がおぼつかないことが度々起こっていたという。

当時、星野さんは病気のことを隠しつつも「仕事をいっぱい入れたし、その反動かな。

年明けも講演の仕事が入っているが、最近は1時間話すと息苦しいんだ。

前はこんなことなかったんだけどな。立っているのがつらいんだ。」と弱気な言葉を吐くこともあったとか。

かつては「闘将」と呼ばれ、強い相手に闘志をむき出す姿が印象的だった星野仙一さん。

そのような発言をするとは本人も驚いたことでしょう。

そんな状態でも星野仙一さんさんは、今年の正月に娘さん家族とハワイに行く予定だったとか。

しかしその願いもむなしく、最愛の妻のもとへと旅立ってしまいました。

最愛の妻・扶沙子さんが待つ天国で安らかに過ごしてほしいですね。

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