今回は元俳優であり演出家・脚本家の顔も持つ根津甚八さんの嫁や息子など、ご家族についてまとめていきます。
根津甚八の嫁
2016年に亡くなられました根津甚八さんの嫁さんはどんな方なのでしょうか?
名前は「仁香(じんか)さん」とおっしゃるそうです。
根津甚八さんは2002年に右目下直筋肥大という顔面の病気を患って芸能活動を縮小し、2009年にはうつ病と椎間板ヘルニアの悪化で療養生活を送っていたとされています。
根津甚八さんが死去する前、嫁の仁香さんはTBSの番組に出演し、旦那の闘病生活について語っています。
根津さんの妻・仁香さんは2015年9月、TBS系情報番組「白熱ライブ ビビット」のインタビューに答え、「うつ」「椎間板症」など、さまざまな病に襲われ車椅子生活となった夫に
「本当に辛いことばかり降りかかってくるような…。なんでこんな人と結婚したんだろうって思ったこともたくさんあった」と苦悩を告白。
(中略)
あまりにも多くの苦難に見舞われた仁香さんだが、インタビュー最後には「愛しています」と夫への愛を語っていた。
旦那が病に伏した状態でも、その闘病生活を懸命に支えたようですね。
一時はご自身の境遇を嘆いて結婚したことを悔いたようですが、最終的には根津さんへの愛情を示しています。
そんな素敵な嫁・仁香さんは現在何をされているのでしょうか?
現在はジュエリーデザイナー?
嫁さんの根津仁香さんは現在、ジュエリーデザイナーをされているようです。
ウェブサイトの「Diana」にて掲載されている文章です。
初めまして、根津仁香です。
俳優・根津甚八と結婚したのは18年前、依頼、主婦として育児に家事にと忙しく、それなりに充実した日々を過ごしていました。
主人の仕事柄、人と会うことや外に出ることも多かったので、主婦の枠に閉じこもっていると感じたことはありません。
そんな私が、今から10年程前、主人の病気をきっかけに心を病み、内にこもるようになってしまったのです。
このままではいけないと、主人の勧めもあって、もともと関心のあったインテリア関係の仕事を始めました。
(中略)
やがてご縁あって、コスチュームジュエリーのデザインを手がけることになって。
空間を美しくする仕事から、今度は女性を美しくする仕事に携わることで、美しくなることは女性にとって「幸せへの道」だということを実感しました。
ジュエリーデザイナーをされているという噂は本当のようです。
また人香さんは「Diana」で“美”についてのコラムも執筆されていたり、過去にはブライダルコーディネーターや空間デザイナーをされていたようで、現在ではジュエリーブランド「Jinka Nezu」を立ち上げ精力的に活動されているようです。
美を追求する女性からすると目標みたいな方ですね!今後のご活躍にも期待していきましょう!
韓国人の噂?
そんな根津甚八の嫁・仁香さんは韓国人という噂がありまして、調べてみるとお二人の馴れ初めで次のような情報がありました。
1994年、甚八さんが49歳、仁香さんが30歳の時に知り合い、2年の交際を経て結婚されています。
当時は、仁香さんが在日韓国人三世であること、そして甚八さんと15歳年が違うことで、結婚を周囲から反対されたようですね。
三世ということは、仁香さんは在日韓国人のお孫さんのようですね。
今では目に見えて韓国人の方への風当たりが強い状況ですが、結婚当時からそれはあったようです。
そんな中、お二人はご結婚されたということは、それだけお互いを愛し合っていたということでしょう。
一回り以上も年が離れていますが、やはり恋愛に年齢は関係無いようですね!
根津甚八の息子
根津甚八さんには嫁の仁香さんとの間に息子さんがいるようで、名前は『甲斐太さん』というそうです。
その息子さんは医師を目指して慶應医学部に入学している?という噂があります!
慶應医学部?大学はどこ?
根津さんの息子さんが医学部に進学したというのはネットでは有名で、慶應医学部?大学はどこ?とかなり興味を引いているようです。
息子さんは、2015年に大学の医学部に進学しています。
根津さんのお父さんや兄弟が歯科医で、仁香さんのお兄さんも医者なので、その影響を受けたようです。
また、物心ついたころから、根津さんが病気と闘う姿を見ていることも、医学部進学を志した理由の一つでしょう。
根津甚八さんの父と兄が歯科医で仁香さんの兄も医師をされているというのは驚きですね!
まさに医者を目指す家系ってことでしょうか。
息子の甲斐太さんは慶應医学部なの?という噂ですが、大学名や学部は調べてみてもわかりませんでした。
ただ祖父や叔父の影響で歯科医になる可能性が高いのではないでしょうか?
ただ父親である甚八さんは息子さんについて、別の職業になってほしかったそうです。
根津は、やはり息子には俳優になってほしいんだと思うんですよ。食事のときなど、「甲斐太には、何になってほしい?」「俳優がいいかな?」なんて会話を何度かしましたし、最近もありましたから。
根津は俳優という仕事の魅力を知っている。自分が感じた魅力、喜びを子供にも感じてほしいという気持ちがあるんだと思います。
やはり自分と同じ俳優の道に進んでほしかったようですね。
それほど俳優という職業が好きで、情熱を燃やしていたということでしょう。
根津さんが亡くなられた際、嫁の仁香さんはインタビューで次のように話しています。
「主人は、時計やバイク、釣竿にも造詣が深かったのですが、中でもお気に入りだったフランクミュラーの時計を
『これ、甲斐太が二十歳になったらあげるんだ』と口癖のように話していました。
今は甲斐太が大事に根津の時計を持っています」
素敵なエピソードですよね。
息子さんには立派な医師になって多くの人を救っていただきたいです。
根津甚八さんの作品は今後ずっと残り続け、その勇姿は作品とともにファンの心で生き続けることでしょう。
ご冥福を心よりお祈りします。