今回はアイドルとして、また俳優としても活躍したものの、1999年に自〇でこの世を去りました、故:沖田浩之さんを取り上げてみたいと思います。
沖田浩之のプロフィール
それではまず、沖田さんのプロフィールから見ていきます。
●本名:置鮎広之(おきあい ひろゆき)
●出身地:神奈川県川崎市
●生年月日:1963年1月7日
●没年月日:1999年3月27日(満36歳没)
●身長:175cm
●血液型:A型
デビューからいろいろと事務所を移籍し、個人事務所を設立したこともありましたが、
最終的には津川雅彦さんが社長を務める「グランパパプロダクション」に在籍しました。
元は竹の子族だった?
沖田さんは、芸能界入りする前は「竹の子族」として活動しており、
原宿で踊っていたところをスカウトされ、1980年に芸能界入りしました。
ちなみに「竹の子族」とは、1980年代前半頃に、原宿の歩行者天国で派手な衣装に
身を包んだ若者たちがラジカセから大音量の音楽を流し、踊っていた集団のことです。
今じゃ考えられないですね!
いきなりドラマでブレイクした?

1980年、TBSの大人気ドラマ『3年B組金八先生』の第2シリーズに松浦悟役で出演、人気を博します。
アイドルとしてデビューもした?
1981年にはシングル「E気持」でアイドルデビューも果たします。

このデビューシングルは、オリコンチャート最高位8位になりました。
8位は凄いですね!
山本陽子との交際報道
沖田さんが20歳の時に女優の山本陽子さんの熱愛報道が取り沙汰されました。

山本さんは当時40歳で、実に20歳差カップルとして世間を騒がせたそうです。
さらに・・・
当時の沖田さんは、山本陽子さん、加賀まりこさん、松原千恵子さんが好きなことを告白しており、熟女が好みだったようです。
まぁ熟女と言っても、みなさんお美しい方ばかりですが、それでも20歳差はすごいですよね。
出会ったきっかけ

沖田さんと山本さんはドラマ『愛を裁けますか』での初共演がきっかけで、
山本さんが高校教師役、沖田さんが教え子役でした。
しかし、うまくはいきませんでした・・・。
結局、2人は別れてしまいますが、破局の理由は何だったのでしょうか?
母親が詰め寄った?
交際報道が出た後、沖田さんのお母さんが山本さんに
「ウチの息子をいったいどうするつもりなんですか」
と詰め寄ったそうです。その際、山本さんは
「まじめに結婚したいと考えている」と答えたそうです。
お母さんに対して、山本さんがこのように答えたのに、何故別れたのでしょうか?
沖田さんが浮気した?

それは、沖田さんが新人女優と浮気をし、山本さんは許すことが出来ずに破局したようです。
山本さんとしては、真面目に結婚を考えていただけに、ショックだったのでしょうか…。
2人の間に子供が居た?

ネット上では、沖田さんと山本さんの間には子供がいるとの噂があります。しかし、実際にはこの情報はガセで、山本さんには子供はいません。
では、何故このような噂が出たのでしょうか?それは、どうやらあるドラマが理由のようです。
1985年のドラマ『二度目のさよなら』でも共演しており、山本さんの演じる人妻が14歳年下の青年・沖田さんの子供を身籠るという設定があり、これが原因のようですね。
残念でしたね・・・。
沖田浩之の嫁や子供は?現在どうしてる?

山本さんとは破局したものの、沖田さんは1995年に結婚されています。
嫁は誰?
沖田さんの奥さんは、英語通訳をしていた一般人女性の千代子さんです。

ただ、一般人ということもあり、画像や詳細な情報は見つかりませんでした。
子供は居る?

お2人の間には、お子さんが2人おられたようです。
しかし性別や名前、画像等の情報は全く見つかりませんでした。
現在、どうしてる?

奥さんだった千代子さんは、現在は別の男性と再婚し幸せに暮らしておられるようです。
お子さんに関しては分かりませんでしたが、年齢的には既に成人されているはずですね。
沖田浩之は自〇した理由は?死因は?

沖田さんは1999年に自宅で自〇してしまいます。
理由には「マネージャー」「枕」などと噂もありますが・・・
それでは次に、この自〇についていろいろ見ていきます。
死因は何?

沖田さんは、1999年3月27日に自宅にて首吊り自〇しました。死因は「縊死(いし)」です。
ちなみに「縊死」というのは、一般的に首を吊って死ぬことを指すそうです。
第一発見者は誰なの?
沖田さんは、奥さんとお子さんたちが外出中に自〇したそうです。
第一発見者は、帰宅した沖田さんのお子さんだったようで、
沖田さんを見つけて「お父さんが寝てるよ!」と奥さんに報告したそうです。

奥さんがその現場を見た時のショックは、もちろん相当のものだったでしょうが、
お子さんの脳裏にも、成人した今となっても焼き付いているのでしょうね…。
芸能人が語っている内容は?

沖田さんは自〇にあたり遺書を残さなかったので、現在もはっきりとした理由・原因は不明のままです。
…ただ、芸能界で沖田さんと関係の深い方が、自〇前後の状況や理由をいろいろ語られています。
津川雅彦の叱責が理由?

沖田さんは自〇の前日、事務所の社長である津川さんらと一緒にお酒を飲んでいたそうです。
その際、役者として悩みを抱えていた沖田さんに対し厳しいことを言ってしまったそうで、
津川さんは自分の叱責が原因ではないかと後悔の念を抱いたと、後に語っています。
仕事で悩んでいたのかな・・・
『3年B組金八先生』で共演した武田鉄矢さんは、沖田さんの告別式でのインタビューで
「いままで格好いい生き方してきた彼には辛かったのかもしれない」と語っており、
自〇の原因は当時、仕事が減っていたことに悩んでの自〇ではないかと囁かれました。
仕事が減ると誰でも心配になりますよね。
若い頃、沖田さんに憧れていたという武田久美子さん。
奇遇にも自〇の1週間前に再会していたそうです。
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3月のある雪の日に、武田さんの友人の舞台を観に行った時、たまたま沖田さんとも会ったそうで、
「思いつめている感じとか変わった様子もなかったんですよ。
亡くなったニュースを聞いたのはその1週間くらい後のことでしたから、本当に驚きました。
突発的なことだったんじゃないかと思うんです。
そうじゃなかったら、これから自〇を考えるような人が、
雪の中わざわざ出かけて舞台を見に行こうとか思うでしょうか…」
と、語っておられます。
川上麻衣子に電話をしていた?
『3年B組金八先生』で同じ生徒、また恋人役で共演していた川上麻衣子さん。
自〇の1ヶ月前ほど沖田さんに会い、その後に電話までかかってきていたそうです。
99年2月、川上さんはパーティーの会場で久しぶりに沖田さんに再会。
しかし、「ちょっと聞いてほしいことがある」と話しかけてきた沖田さんに対し、
当時ストレスからパニック障害になっていた川上さんは軽くあしらったそうです。
さらに同じ日の夜、パーティー会場での川上さんの様子を心配し、
「元気なかったけど、どうしたの?」と沖田さんから電話がかかってきたそうですが、
それにも冷たい態度を取ってしまったそうです。
この1ヶ月後に沖田さんが自〇してしまい、この時に自〇の予兆に気づけずに、
冷たい態度を取ってしまったことを、とても悔やんでいるそうです。
理由は借金?
こうして、いろいろな理由が語られている中に、「借金」が理由だったという噂もあります。
父親も自〇した?

沖田さんのお父さんは、川崎市内で不動産業やゴルフ会員権を扱う会社を経営し、
のちに長男である沖田さんのお兄さんが継いだものの、事業に失敗し、
その業績は決して順調ではなかったことが分かっています。
そして、お父さんは会社を傾かせた長男を心配し、1996年に
『俺の保険金で負債を返済しろ』と言い残して自ら命を絶っています。
この辺りから、沖田さんにも借金のしわ寄せがあったのではないか、という噂が出たようです。
兄が否定した?

しかし、沖田さんが自〇した際、集まった記者に対してお兄さんは次のように語りました。
「父の事業を引き継いだのは私です。借金を含めて遺産を相続したのは個人であって、弟は一切、関係していません」
「弟は実家の土地と建物を相続したに過ぎない。借金で首を吊ったのではないことは、あいつの名誉のためにもハッキリ言わせてもらいます」
この発言により、沖田さんが借金苦によって自〇したという噂は、急速に無くなりました。
新たな証言が出てきた?
しかし、週刊新潮2016年2月25日号で、新たな話が報道されました。

「沖田君が亡くなった原因は、はっきり言って借金の問題ですよ」
と沖田さんの叔父さんが断言しているそうです。その記事によると
「私たちが棺桶に花を入れながら、それぞれ別れを惜しんでいた時のことです。
突然、お兄さんが堰を切ったように泣き出して『俺に責任があるんだ。
浩之には借金の連帯保証人になってもらっていた』と言ったのです。
何も知らされていなかった私たちも驚きましたが、
沖田君の奥さんも全く知らされていなかったようで、相当ショックを受けた様子でした」
さらに、次のような内容も書かれていました。
当時の登記簿謄本を見ると、兄が社長を務めていた「共栄不動産」は、
川崎市役所の近くに5階建ての自社ビルを所有していたことが分かる。
ところが、ここには極度額3億円もの根抵当権が設定されていた。
また、実家は兄の言葉通り沖田が相続していたものの、
地元の金融機関から8000万円の抵当権が設定されていたのである。
これらが本当だとすると、お兄さんの借金を、沖田さんも背負わされていたことになりますね。
…とすると、連帯保証人になっていることを奥さんにも言えず、
自分のものではない借金を苦に自〇を…という理由も、十分に考えられますね。
兄も自〇した?
葬儀からしばらく経って、謄本をもとに問い質した記者もいたようですが、
お兄さんは「あくまで書類上のこと」との主張を繰り返したそうです。
そして、沖田さんの死から3年後の2002年4月に自ら命を絶ちました。
自分が弟に借金を背負わせていた事実は最後まで認めず仕舞いでした。
これらの報道が真実だとすると、お兄さん自身も、自分が背負わせてしまった借金のせいで、
弟を自〇に追い込んでしまった、という後悔の念があったのかも知れませんね。
自〇する家系だった?

わずか36歳の若さで自〇し亡くなった沖田さん。
これまで見たように、お父さんとお兄さんも同様に自〇しています。
そして、弁護士だった祖父も、担当事件絡みで正当性を主張するために自〇しています。
このように3代で4人もの自〇者が出ているというのは、衝撃的ですよね。
しかし、遺伝による自〇は、科学的、医学的にも証明されているそうです。
沖田さんは遺伝子的に(性格的に?)簡単に自〇を考えてしまう家系だったのかも知れませんね。
ちなみに事件とは関わりはないのですが、松本明子さんの放送禁止用語の事例も関連付けされているみたいです。
