金哲彦の再婚相手・林幸枝との出会いがヤバイ!子供は1人!前嫁との離婚の真相

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早稲田大学時代箱根駅伝で活躍。

現役引退後はリクルートランニングクラブの監督に就任。

NPO法人ニッポンランナーズ理事長も務める金哲彦さん。

金哲彦さんの嫁、林幸枝さんとの結婚、子供について紹介します。

 

金哲彦のプロフィール

1964年福岡県北九州市生まれ。

中学から陸上競技を始め、早稲田大学入学後、無名ながら1年生で箱根駅伝での5区に抜擢され驚異的な走りをみせた。

以降、1985年には同区間で新記録を樹立、早稲田の2連覇に貢献し「山のぼりの木下」の異名をとる。

1986年リクルートに入社後、ランニングクラブを創設。

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マラソンでは、1987年別大マラソン3位。

1989年東京国際マラソン3位など選手として活躍後、1992年に小出義雄監督率いる同クラブのコーチとなり有森裕子など、数々のオリンピック選手を指導した。

1995年監督に就任。

2002年NPO法人ニッポンランナーズを創設、理事長として新しいスポーツ文化の構想を推進している。

また、テレビやラジオの駅伝・マラソン解説者としても活躍中。

大学時代は日本名である「木下 哲彦」という名前で箱根駅伝などで活躍していましたが、卒業と同時に韓国名「金哲彦」に改称しています。

「山のぼりの木下」と箱根駅伝で呼ばれたのはそのためです。

1992年に出した、フルマラソンで2時間11分48秒というのがベストタイムです。

 

金哲彦が嫁の林幸枝と結婚!

金哲彦さんは林幸枝さんと結婚していますが、嫁の林幸枝さんは、昭和大学歯学部を卒業後、現在は矯正歯科、予防歯科、口腔リハビリテーションを専門に、品川区で開業しつつ、フリーランス歯科医として活動をしている歯科医です。

出会った時の、最初の奥さんの印象が衝撃的です。

二人が出会ったのは、ランニングを通して健康な生活を実現するという、あるチャリティーイベントの打ち上げの席だった。

そこで、金さんのことを見た幸枝さんは、てっきり金さんのことをゲイだと思いこんだという。

金さんはその輪の中心でワイングラスを口に運んでいたんです。

おしりが小さくて、腰に手をやって、すてきな立ち姿。

それに清潔感がただよっていて。

でも私にはそれが変な絵にしか見えなくて、『ゲイなのかしら?』と思ってしまって」

マラソンランナーですから、おしりは小さくて、立ち姿もきれいだったんでしょう。

でもだからと言ってゲイと思うのも不思議ですが、

林「疑問を持ったままお会いするのも嫌だったし、ちょうどその当時はやっていたアメリカのテレビドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』を見て男性と女性の両方を愛せる人がいることを知り、いきなり、金さんに『“ストレート”ですか、それとも“ダブル”ですか?』って質問してしまったんです。」

金「びっくりしました。そんな質問は生まれて初めてだったし、本当に驚きました。

でも、思い返せば、率直に質問をしてくれたおかげで、より打ち解けることができたんです。

なかなか聞きにくい質問だと思いますが、ストレートに質問した奥さんとそれに驚きながらも素直に打ち解けられたという金さん。

スタートがこんなですから、率直な交際、結婚ができたのでしょう。

2013年に結婚パーティを開きますが、その結婚パーティのドレスコードはランニングシューズだそうです。

金哲彦さんはこの時49歳です。

 

金哲彦は再婚だった?

1991年に当時所属していたリクルート社員の日本人一般女性と結婚したという情報があります。

次の五輪を目標に現役を続けるつもりだったが、当時のリクルートの小出義雄監督から有森裕子さんのコーチを頼まれバルセロナ五輪銀メダルに貢献したのがきっかけとなり、現役を引退してリクルートのコーチに就任したそうです。

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子供は?

前の奥さんとの間に男の子が1人いるそうです。

今の奥さんとは49歳の時、現在の奥さんの年齢はわかりませんが。

そんなに離れてはいなさそうなので、今の奥さんとの間にはお子さんはいないようです。

 

離婚について!

離婚した原因や時期についてはわかりませんでした。

1991年に結婚して、その後有森裕子さんなどを育成しているので、海外遠征や海外での高地トレーニングなど家を空けることも多かったと思いますから、勝手な推測ですが、子育ての大変なときに生活のすれ違いのようなものがあったのかもしれません。

 

2006年大腸がんをわずらう

2006年。新幹線のトイレで大量下血した翌日、不安が募り、知人の看護師に相談した。

「すぐ検査を受けた方がいい」と近くの病院を紹介された。

医師に恐る恐る「もしかして……」と尋ねると「ええ、がんですね」と告げられた。

当時42歳。若いだけに進行が速いとみられ、開腹手術が必要との診断だった。

妻は冷静に受け止め、「先生の言うことをきちんと聞かなきゃね」と励ましてくれた。

しかし、九州の実家に電話で伝えたときは「どうして……」と取り乱す母の涙声を聞き、思わず自分も涙が出た。

2006年の時の妻というのは最初の奥さんですね。

最初の奥さんと結婚生活の中ではこんなに大変なことがあったんですね。

2006年8月、大腸がんの手術を受けた。

医師の説明では、がんの大きさは3センチほどだったが、腸の外側まではみ出していたという。

ただ、幸い腹壁や他の臓器に転移は見られなかった。

「私にとって健康とはフルマラソンを走り切れること」。

がん患者から本来の自分に戻れた気がした。

早期に手術できて、転移もなく、その後の経過も順調のようです。

アスリートとはいえ、健康には十分注意しないといけないでしょうし、この経験から身体についても大事にするようになったことでしょう。

 

100kmを走るウルトラマラソンにも出場

フルマラソンの42.195kmをはるかに超える100kmの過酷なマラソンレース「ウルトラマラソン」に出場した経験があります。

ウルトラマラソンランナーの高田由基さんとの対談で、初めて挑戦した時のことを聞かれ、

「ニッポンランナーズ」を立ち上げた時に1度サロマ湖ウルトラマラソンを走ったことがあるんです。

それが初ですね。市民ランナーの世界を知るためにも、自分で体験してみないといけないなと思って。

と挑戦したきっかけを語っています。

想像もつかない過酷なマラソンですが、

僕の場合は「80キロの壁」でした。

1回目も今回もそうでしたけれど、80キロを過ぎるともう、どうしようもなくなってくるんです。

足にマメができたとか、どこか痛いとかそういうことさえ超越したつらさ。

もう、何をしても体が動かないというような感覚です。

80キロの壁って、超人ですね。

普通の人なら10kmの壁とか、25kmの壁とかの話ですが、ウルトラマラソンの壁が凄すぎます。

フルマラソンを毎月1本走ることが日常となっている現状を生かして、日本でも世界でも、これまで出たことのないようなレースに出てみたいですね。

誰も知らないような小さなレースとか。

そうやって、いろいろな土地に行けるだけ行ってみたい、というのが今の僕の目標です。

金哲彦さんは1964年2月1日生まれですから、現在54歳。

さすがにもう100kmはいくらなんでもきつすぎます。

金哲彦さんの嫁。林幸枝さんとの結婚、子供、最初の結婚相手などについて紹介しました。

現在もプロランニングコーチとしてプレミアムランニングシューズブランドHOKA ONE ONEとアドバイザリー契約を結んだり、多数の著書を出版し、テレビ、ラジオにも出演するなど多忙の金哲彦さん。

2020年の東京オリンピックに向けてコーチとして、ますます活躍されることでしょう。

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