杉田二郎は結婚しておらず嫁や子供はいない!身長や病気について。

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今回は京都府出身の歌手・杉田二郎さんについてまとめていきたいと思います。

杉田二郎について

杉田二郎さんは日本レコード大賞企画賞をとったこともある人気歌手です。

何と、あの「オフコース」は、下積み時代に杉田二郎さんのバックバンドを務めていたようです。

オフコースにも下積み時代があったんですね。かなり豪華な共演ですね。

 

杉田二郎の嫁について

さて、そんな杉田二郎さんですが、結婚はされているのか気になりますね。

調べてみましたが、結婚しているという情報はなく、未婚の可能性が高いように思われます。

もしかしたら籍を入れていないだけで…というのもあるかもしれませんが、婚姻関係にある方はいらっしゃらないのではないでしょうか。

 

杉田二郎と嫁の子供について

杉田二郎さんの子供についてですが、こちらも情報はありませんでした。

杉田二郎さんの家族に関しての情報が全くないです。

杉田二郎さんの大ヒット曲『ANAK(息子)』は「杉田二郎さんが息子を思って書いた曲なのでは」と言われている方もいらっしゃいましたが、『ANAK』は元々フィリピンの歌手フレディーアギレラさんのカバーで、日本語詞はなかにし礼さんの訳だそうです。

結構忠実に和訳されているようですよ。

 

杉田二郎のバンドマン時代

杉田二郎さんは、ソロ活動前にバンドもいくつか結成されていました。

1967年、アマチュアバンド「ジローズ」を結成。

1968年、ラジオ『ヤングタウン』の「今月の歌」に取り上げられたオリジナル曲『あなただけに』が好評を博し、ラジオ放送用のテープが東芝音楽工業からシングルレコードとして発売される。

ラジオで取り上げられ人気が出たそうです。

この頃の新曲情報は主にラジオだったのでしょうか。

最近はネットで話題になってなどが多いですが、この時代の知り方はお洒落というか、本当に音楽が好きな人が音楽を知っていた感じがして憧れます。

第1次ジローズは解散。

その後、ザ・フォーク・クルセダーズの解散を控えた北山修から「京都のフォークのエネルギーを絶やしたくない」と、はしだのりひこの新しいバンドへの加入を要請され、ザ・ヴァニティーで活動していた越智と井上博を加え、「はしだのりひことシューベルツ」を結成

1970年には森下次郎とともに「ジローズ(第2次)」を結成し、『戦争を知らない子供たち』が大ヒットした。

ザ・フォーク・クルセダーズといえば「帰って来たヨッパライ」ですね!

この歌を知った時は思わず笑ってしまいました。

神戸ではこの頃、頻繁にラジオで流れていたそうです。

またヒット曲「悲しくてやりきれない」もありますね。

そんなバンドメンバーと活動出来るなんて、すごい人望ですよね!

そして『戦争を知らない子供たち』ですが、この曲は有名ですね。

1970年8月23日、大阪万博でのコンサートで初めて歌われ、その模様がライブアルバム「戦争を知らない子供たち」として発売された。

翌年1971年2月5日には、ジローズの歌唱によるシングルが発売され、オリコン最高11位。累計売上30万枚以上のヒット曲となった。

ジローズはこの年の第13回日本レコード大賞新人賞を、作詞を担当した北山修は作詞賞を受賞した。

実はこの曲、北山修さんは初め他の方に作曲を依頼しようとしていましたが、鼻で吹いて突っ返されてしまい、やむなく杉田二郎さんにお願いしたそうです。

北山修さんはこの曲に自信がありませんでしたが、杉田二郎さんが胸を張って歌い続ける姿に励まされたと言っています。

曲と曲はめぐりあわせなんですね。二人の信頼関係の強さが物語っています。

杉田二郎さんは北山修さんの歌詞を非常に気に入っており、自らのターニングポイントでは北山修さんに作詞を頼んでいたそうです。

 

杉田二郎のソロ時代

1972年からはソロ活動を開始した杉田二郎さん。

『男どうし』ではオリコン30位になったものの、その後少しの間特にヒット曲はありませんでした。

1978年に発表した『ANAK(息子)』が大ヒットとなりオリコン10位を獲得しました。

その後はオリコンランキングに入るほどではないものの、着実にファンを集め、70歳を過ぎた今も歌手活動を続けておられます。

 

杉田二郎の現在

2016年に『やわらかい心』をリリースされた杉田二郎さん。

現在は関西を中心に活動しており、出演依頼があれば時間帯を選ばすメディアに出演活動しています。

今後も同じようなペースで活動していく様です。

とのことでした。

時間帯を選ばずメディア出演、ご高齢にかかわらずお元気そうでなによりです!

また2014年には堀内孝雄さん、ばんばひろふみさん、高山厳さん、因幡晃さんとともに「ブラザー5」というバンドを結成され、こちらの活動もされています。

 

杉田二郎の実家

杉田二郎さんは宗教家との記載もありました。

実家は京都の金光教島原教会で、現在金光教島原協会副教会長。

だそうです。結構なお偉いさんですね。

宗教関係の音楽活動も行われているそうですよ。

 

杉田二郎の身長について

杉田二郎さんは身長が高いですが、詳細は明らかになっていません。

ですが、こんなお話がありました。

「帰って来たヨッパライ」が自主制作盤からヒット確実になった時、フォーク・クルセダーズのメンバーだった北山修がプロデビューを主張した時、メンバーのうち平沼義男はプロにならなかった。

この時、北山は平沼の代わりに身長が高くてバランスが良い杉田二郎をメンバーに入れようとしたが、加藤和彦が「はしだのりひこがメンバーに加わるなら」という条件でプロになったとも言う。

ちなみに北山、加藤が身長180cmあるのに対し、はしだのりひこは163cmと凸凹コンビになってしまったのだ。

このことから、杉田二郎さんも身長180cmほどあるのではないかと推測されます。

 

杉田二郎の病気について

2013年9月に、杉田二郎さんが肝のう胞で入院、ラジオを欠席というニュースがありました。

「戦争を知らない子供たち」で有名な歌手、杉田二郎(66)が、肝臓の中に液体のたまった袋ができる肝のう胞のため都内の病院に入院していることが29日、分かった。

関係者によると、24日に仕事先の大阪で黄疸やめまいなどの体調不良を訴え、都内に戻り検査を受けたところ、肝のう胞と診断された。

杉田はそのまま入院し、内視鏡による処置を受けた。

杉田二郎さんは病気で仕事を飛ばしたことがなく、そのことについて非常にショックを受けていたそうですが、まずはご自分の心配をしてくださいという感じですね。

これまで休まずにきていたことは凄いことですので、ショックを受ける必要はないと思いますが、そこは仕事人魂なのでしょうか。

一度入院されたことはありますが、まだまだ元気に活躍されている杉田二郎さん。

これからも京都の「フォークエネルギー」を絶やさず、お体に気を付けて活動していってくれればと思います。

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