中野信治は結婚しておらず嫁や子供はいない!?年収や実家も調査!

今回はレーシングドライバー・中野信治(なかの しんじ)さんについてみていきましょう。

中野信治について

中野信治さんといえばF1ドライバーとしても有名ですが、2017年にはスーパー耐久にシリーズ参戦するなど、40歳を超えても現役活動を続けているレーサーですね。

そんな中野信治さんは結婚して子供もいるという噂がありますが、本当なのでしょうか。

 

中野信治には結婚した嫁はいない!

さて中野信治さんの情報として気になるのがやはり「結婚しているかどうか」ですね。

結論からすると、40歳になった現在も独身です。

独身?聞くと、なぜか含み笑いで「独身です」。

結婚については、「いや、その件はあまり聞かないで。

すぐにではないですが、きちんとしたらお話ししますから」と照れ笑い。

一瞬結婚するのか?!と思われるような発言があった中野信治さん。

しかし、結婚したという確証は得られませんでした・・・

中野信治の横に居るおばさんは嫁なんですかね?イメージと違いすぎました。

普通に考えるのなら、親族か中野の妻でしょうね。

妻だとしたら、人の魅力は容姿や年齢だけではないので、中野は彼女の内面に惹かれたのかもしれません。

このように噂になったお相手もいますが、家族というよりも親戚のお姉さんという見解が一番信憑性が高そうです!

 

中野信治には子供がいる?

中野信治さんは結婚していない線が濃厚ですので、もちろん子供がいるということもないですね。

彼女の噂は一度だけで、レースクイーンと噂になりましたが、噂になってすぐに破局したらしいです。

イケメンレーサーとして人気の中野信治さんなだけに、独身だとわかったら言い寄ってくる女性がたくさん出てきそうですが・・・(笑)

 

中野信治の年収は?

やはりF1レーサーという夢のある職業で、気になるのはその年収ですよね!

中野信治さんは現在レーシングドライバーの活動だけではなく、教授をしたり日本語の解説をしたりといろいろな仕事をしているようです。

 

今はフェラーリとの契約が切れて、どのレーシングチームにも属していないということですので、年収をどのくらいもらっているかはわからない状態です。

しかしレーサーとしての全盛期では、年収1憶を軽く超えていたといいますから驚きです!

 

今はそのときの5分1くらいでは?と予想されているので、だいたい2000万くらいと言われています。

 

中野信治の実家

中野信治さんの実家は大阪府高槻市です。

中野信治さんの実父である中野常治さんも、家業と兼業しながら全日本F2選手権まで参戦したドライバーだったのだとか。

家族は、両親と1つ違いの妹がひとり。今のぼくがあるのは父のおかげです。

20歳を過ぎて、たまたま手にしたレース雑誌から興味を持った父が、本格的にレースに出るようになったのです。

父の仕事は内装業です。マシン、タイヤ、移動費…と、レースにはお金がかかる。

ぼくら家族を養いながらですから、それはもう大変だったと思います。

平日は毎朝5時から、周りが心配するほど働き、週末を家族みんなでサーキットで過ごすという日々だったようです。

その父を見ていた少年時代、「あんなに速く走れるなんてかっこいいな」と純粋にレースの世界にあこがれていったようです。

日本レース界最高峰の全日本F2選手権へと順調にステップアップを果たしたところでした。

チームやスポンサーとの意見の相違から、それまで支えてくれた方へ義理立てする形で、父はレースを断念したのです。

家族とレースのためだけに働き、人を裏切らず、自らの甘えを許さない厳格な父。

だからこその選択だったのでしょう。

ぼくが父とその友人に誘われてカートを始めてからの、父の熱の入れ方は普通ではありませんでした。

父の意思を受け継ぎ、レーサーとしての人生を歩み始めたのですね。

 

中野信治のF1デビュー期

11歳の頃にカートレースを始め、1987年、香港の国際カートGPで日本人初優勝大会最年少優勝記録更新という輝かしい記録をたたき出しました。

走りについては「自分の感性で走れ」と一言。

父には「ドライバーとしての心構え」を叩き込まれましたね。

とくにメーカーのサポートを受けるようになってからは、プロとしての仕事をきっちりこなせ、5位でも10位でも結果を残せ、と厳しくいわれました。

レースはいろいろな人の協力あってのものだから「失敗しちゃった!」では済まされないと。

やはり支援者ができてから、ぼくの人生は変わりましたね。

18歳では全日本F3選手権に出場したのち、単身でイギリスに向かって武者修行をします。

目指すは世界の頂点です。エベレストに登ったら、さらに別の山が見えてきたようなものです。

つまり、彼らのような天才ドライバーに勝つには、自らの意識を高く持つこと。

セルフコントロールの重要性を実感しました。

帰国してからはあまりいい成果を残せずにいましたが、3年後には童夢に入ってF1レーサーとして活躍し始めました。

ちなみにF1ドライバーとしては日本人では5人目となっていますが、あまりいい成績を残せずに日本に帰国しています。

やはり海外の選手に比べると、まだまだ日本人選手はトップクラスには及ばないようですね・・・

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