渡哲也の嫁の画像。息子はアメフト後、鹿島建設に?現在は病気でストーマ?

渡哲也さんの嫁の画像。息子はアメフト後、鹿島建設に?現在は病気でストーマ?などについてまとめてみました。

 

渡哲也の嫁について

渡哲也さんは、青山学院大学経済学部卒業後の1971年に同じ大学の同級生の石川俊子さんという一般女性の方と結婚されました。

渡さんが俊子夫人とハワイで2人だけの結婚式を挙げたのは’71年3月のこと。
2人はもともと青山学院大学の同窓生、大恋愛の末に結ばれた2人だった

渡哲也さんが結婚した奥様の写真は、あまり見当たりませんでしたが、これまでに数々の病気をしてきた渡さんを献身的にサポートしてきた方だそうです。

また余談ですが、渡哲也さんといえば1966年に映画「愛と死の記録」で共演した吉永小百合さんとの恋愛が噂されたことがありました。
それによるとその破局後に、現在の奥様と結婚されたと言われています。

「ロケ先のことはわかりませんが、その頃はまだ隠し部屋なんて借りていませんから、渡さんは小百合ちゃんの実家に遊びに行っていました。そこでは応接間に通され、両親が同席してお茶を飲む。外で会おうとすると、両親から『今日は行けません』とドタキャンの電話が入る。小百合ちゃんは両親に、渡さんと結婚する意思を伝えていましたが、両親はどうにかして引き離したかった。『あんなモテる男じゃ、お前が苦労する』と」

そして箱入り娘ならではの悲話があります。

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渡さんは酔っ払うと『何で俺のところに飛び込んできてくれないんだ』と嘆いては、小百合ちゃんに電話して結婚を迫っていたといいます。
でも結局、彼女は渡さんより両親を取る形になり破局したそうです。

映画界で「吉永にとって初めての男だった」と言われる渡哲也との大恋愛は、2年余りで終幕を迎えた。
吉永小百合さんは次のように話したという。

「両親を説得できなかったんです。だから渡さんと直接会って、『あなたとは結婚できません』と伝えました。涙が止まりませんでした。それで別れたんです」

その後、渡さんの結婚を知らされた吉永さんは、「悔いがある」と言って、泣き通したのだという。

2人の結婚までの出会いや馴れ初め

2人の出会いは大学だったとのことです。

奥様も渡さんと同じ青山学院大学に通われていたようですね。

馴れ初めに関しては、特に詳しい情報はありませんでしたが、大恋愛の末に結婚されたとのことです。

息子について

息子さんが一人いて、小学校から高校まで青山学院で過ごし、大学卒業後は鹿島建設で勤務されているようです。
大学ではアメリカンフットボールをされていたナイスガイで、その息子さんも、大学時代の同級生と結婚されて温かい家庭を築いているとのことです。

渡哲也さんが病気で倒れた際に、自宅をバリアフリー化されたそうです。
息子さんご夫婦も渡哲也さんの自宅近くに引っ

越しされたそうです。

父親思いの良い人ですね~。

大学時代はアメフト選手だった?

先述したように大学時代はアメリカンフットボールをやっていたようです。
詳細の情報はネット上では見当たりませんでしたが、渡さん似のナイスガイとのことなのでとにかくモテたでしょうね~。
しかも、家族思いとの情報もありましたので、周りの友達や彼女にも優しく信頼のある男性であったことは間違いないでしょうね。

鹿島建設に入社!

どうやら鹿島建設に入社したとの情報が多いですね。
鹿島建設と言えば、大手ゼネコンで有名ですので相当稼ぎも良いでしょうね。
自宅にバリアフリーを付けてあげられるぐらいなので相当稼ぎは良いと思われます。

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病気について

2015年7月に入り、急性心筋梗塞で倒れていたことが判明しました。
石原軍団の舘ひろしさんが公表し、危険な状態であったとも話しています。

非常に危険な状態だったと言われる渡哲也さんですが、そこを適切な対応で救ったのは、奥さんの判断や献身的な介護だったようです。

「奥さんの適切な判断が渡さんの命を守ったといえますね」と語るのは、渡が入院していた病院の関係者。
「まさに早期発見・治療でしたので、手術は1時間30分ほどで成功しました。CCU(心臓血管疾患集中治療室)では早期リハビリが開始され、数日後に一般病棟に移ることができました。
渡さんの奥さんは1カ月、病室に泊まり込みで看病していましたね」

病気後もその奥様と一緒に渡さんは、リハビリに励まれているようです。

現在は自宅で療養中で、「妻にいじめられながらリハビリしてます。

入院が長かったので足が弱って、まいった」と電話で舘に報告するなど、いたって元気だという。

現在の病状は?

その後は、渡哲也さんはリハビリを行いながらも、幾度か仕事復帰をしています。
2015年12月には松竹梅のCMで復帰されていますね!

1967年以来、49年目になる宝酒造と石原プロモーションの歴史。「松竹梅」のCMには、70年から87年までの17年間は石原裕次郎さんが出演し、88年から渡に引き継がれた。
昨年の同CMの撮影以来、ちょうど1年ぶりの仕事となった渡は「宝酒造さんからの『CMに是非出演いただきたい』という言葉が励みになりました。
仲間に支えられてやり切ることができ、持つべきものは仲間だなと思いました」と、サポートしてくれた周囲に感謝の言葉を述べた。

2016年4月にはBS番組で「大都会」シリーズを語っていました。

松田優作さんや石原裕次郎さんについても語ったといいます。
松田優作さんや石原裕次郎さんについては、

「出会ったときにスターの風格を感じた。撮影のないとき、早く終わったとき、家に来てもらって、夜の場合はたき火をしましてね。一杯飲んで、ほとんど優作にお説教されてましたね。なぜ映画をやらないんだと」と役者として多大な影響を受けた日々をなつかしんだ。

と語っています。

石原軍団のボスである裕次郎さんとは、ロケ現場だった渋谷病院近くの会員制居酒屋で飲み明かし、眠らずに撮影に臨んだ宝物の思い出や、「裕次郎さんには映画人のプライドがあった」とテレビ制作への苦悩があったことも明かした。

やはりスターはプライドやこだわり、信念が強いんですね。カリスマ俳優お二方と若い時代に出会えて吸収できていたからこそ、今の渡哲也さんがあるのでしょうね。

在宅酸素やストーマ

渡哲也さんは、リハビリの一環として、在宅酸素療法を取り入れていたようですね。
在宅酸素療法とは、身体の中に酸素を十分に取り込めないという人に対して長期にわたり自宅で酸素吸入をする治療法が、病状は安定している場合が多いそうです。
この在宅酸素療法を行うことにより、仕事へ復帰することが可能になり、生活の質を高める手助けになります。
渡哲也さんが仕事へ復帰できたのもこの在宅酸素が大きかったと見られます。

しかし、年齢が年齢なだけに身体への負担も大きいと思いますので、あまり無理はしないで欲しいですね。

その後も入院を繰り返して、1991年に直腸ガンになってしまったようです。
結婚から20年後の1991年に直腸ガンが発見され、ガンのことは、医師からまず奥様の俊子さんに伝えられたとのことです。
大手術が必要なこと、場合によっては人口肛門になることが告げられたみたいです。

俊子さんは渡さんに現状を正直に伝えるべきか悩んだ結果、渡さんに全て伝えることを決断しました。

渡さんは直腸ガンの手術を受け、ストーマ(人工肛門)をつけることになりました。
オストメイト(人口膀胱・人口肛門)を付けている人であることを自らカミングアウトし話題になっていました。

以上、渡哲也さんについて調べてみましたが波乱万丈の人生ですね。これから少しでも病気を治して元気になってもらいたいですね。

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