高谷裕之と嫁の三浦麻穂の結婚までの馴れ初め。関東連合や伊藤リオンとの関係は?

今回は、総合格闘家で元DREAMフェザー級王者の高谷裕之さんの奥さんについて記事にしたいと思います。

喧嘩番長として名高い高谷さんのプライベートはどのようなものなのでしょうか?

 

高谷裕之の嫁の三浦麻穂について

イカツい高谷さんですが、奥さんはなんとファッションモデルの三浦麻帆さんという方です。

三浦麻穂

血液型 O

身長   170 cm

スリーサイズ  80 – 57 – 83 cm

やはりモデルなだけあって、とっても美人な方ですね!

 

2人の結婚までの出会い&馴れ初め

こんな美人な奥さんと、どこで出会ったのでしょうか?

やはりアスリートはモデルやアナウンサーと出会う機会が多いのか……!? と思いきや、そんな単純なものではなく、実はドラマチックな馴れ初めだったようです。

高谷裕之さんが19歳、三原麻穂さんが17歳の時に出会い、2人だけで同棲を始めています。

もちろん、2人共未成年、三原麻穂さんは、高校生ですので、同棲場所から通学しています♪

しかも、同棲話は、お嫁さんの三原麻穂さんから、「家なんか出てこいよ」と言う一言がキッカケだとか(お嫁さんの武勇伝かも知れませんね)

三原麻穂さんは、現在、「Steady,」「Style,」「BSENDA BLACK」等の雑誌にも登場していますが、元々は、高谷裕之さんを応援していた時、スカウトされたのがキッカケだとか。

高谷裕之さんの経済状況がイマイチの時は、お嫁さんの三原麻穂さんがモデル活動をすると言う素敵な関係でしたが、お嫁さんの実家は、結婚を反対されていたとか・・・

格闘家とモデルという形で出会ったのではなく、交際を始めてから高谷さんは格闘家に、そしてその応援に来ていた奥さんがたまたまスカウトされてモデルに、という異色な夫婦のようです。

高谷さんに「家を出ろ」と言われて同棲し、そこから高校に通っていたなんてなかなか思い切った女性なんですね。

また、奥さんの2009年11月22日のブログで結婚の報告がされています。

突然ですが、みなさんに、報告したぃ事がぁります

本日、11月22日に、私、三浦麻穂ゎ、結婚致しました

相手ゎ、格闘家の、高谷裕之選手です

彼とゎ、学生の頃からの、ぉ付き合ぃで、

13年目になります

なんと13年のお付き合いで結婚されたのだとか。交際から結婚まで、いろいろな場面で支え合っていたのでしょうね。

それにしても奥さん、なかなか若々しいブログの文章表記をします(笑)

翌年のバレンタインデーには結婚式も挙げ、たくさんの人に祝福されていたようです。

 

子供はいるの?

奥さんは妊娠中、2010年7月号の「たまごクラブ」の表紙を飾りました。

2010年6月23日の奥さんのブログでは、生まれたばかりのお子さんの姿が載せられています。
帰って来て沐浴タ~イム
パパに入れてもらって気持ち良さそぅ
上手に入れられて我が家もイクメンパパかな
あのコワモテの高谷さんが笑顔で赤ちゃんをお風呂に入れる姿……想像できませんね(笑)
奥さんのブログでは他にも、高谷さんの練習場所に連れてきてミット打ちをしているお子さんを載せたり音楽教室の体験を受けている様子を紹介したりと、ほほえましい様子をアップしています。
お子さんの名前は「琥珀」くん、男の子のようです。

今だと小学校低学年くらいでしょうか。まだまだカワイイ年ごろでしょうね。

琥珀くんの将来も楽しみです。

 

関東連合の伊藤リオンとの関係は?

伊藤リオンといえば、市川海老蔵暴行事件で一時期その名が世に知れ渡った人物。

彼は芸能界の様々な事件にも関わりがあるとされる関東連合の一員です。

東京都世田谷区や同杉並区の暴走族の連合体として1973年に結成され、2003年に解散。ところが解散後もOB(元メンバー)同士が上下関係に基づく強い絆で結束しているとされ、2000年代から2010年代にかけて、東京・六本木周辺などで発生した各種事件の関係者としてたびたびその名が登場してきた。そうした解散後の状況下にあっては、このOBらの結び付きを指して“関東連合”と一般に呼んでいる。

東京都内の渋谷、六本木、西麻布、および新宿のいわゆる“地下社会”にて「一定の勢力を誇って」いて、「既存の暴力団ではないが暴力的な犯罪を行う集団」を意味する“半グレ”の象徴的な存在と言われる。

伊藤リオン、そして関東連合と高谷さんの関係性は定かではありませんが、ネット上にはその関係性を疑わせる画像が出回っています。

なんだかすごい面々が揃っていますね……

高谷さんは「KGB(関東ギャングボーイズの)」という、かつては大規模な関東のチームに所属していたという噂もあるくらいですから、関東連合とのかかわりがあっても不思議ではないのかもしれません。

ちなみに高谷さんは2011年にリオン武という格闘家と試合をしていますが、伊藤リオンとは無関係です。

 

元ヤンキーでヤバかった?

かなりヤンチャで、地元では「千葉最強」なんて言われていたという高谷さん。

元チーマーで、幼少期から喧嘩にあけくれていたというエピソードと、リングでのパンチ中心のファイトスタイルから「喧嘩番長」の異名を持つ。「沢山殴りたいです」「相手の顔を沢山殴る試合をします」などとインタビューで発言するほどパンチへのこだわりは強い。

喧嘩や暴走行為に明け暮れる少年時代を過ごし、23歳の時に「とりあえずエネルギーを発散させないとまずい」と思ったのがきっかけで総合格闘技を始める。

意外と格闘技を始めた年齢は早くなかった高谷さん。有り余るエネルギーをぶつけられる場所を探していたのですね。

本人の2006年のブログでは、昔を振り返って

そういやぁ。昔、格闘技を始める前の十代の頃に一度テレビに出たことがある。
日曜の夕方からやっていたムキムキタマゴとかいう番組。
出演者は浅草キッド、雛形あき子、森脇健司、関西のおぼっちゃまとか言われてた漫才師さんとかだった。
企画はチーマーvsヤンキーの口喧嘩だったね。
チーマー10人ヤンキー10人でチーマー側でうちらのチームが出たんだ。
口喧嘩だから収録前に「手は絶対に出さないで下さいね。」とか言われてたけど、
当然のように、
少しでも何かあったら一番強い奴ぶっ飛ばして一番目立ってやると思っていた。
たぶん全員が思っていたと思う。。。。(笑)
やっぱり当たり前のように俺が原因で相手と大乱闘になった。
放送は乱闘カットでちゃんと放送されたね。

このように語り、上の写真が添えられています。

一目で「あっ……」となる画像ですね(汗)

かつてはいろいろとヤンチャな武勇伝を誇っていた高谷さん。

しかしエネルギーを発散させるために始めた格闘技、40代になった今でも試合は続けており、「KOで試合を決めるつもり」とインタビューで語っているほど。

さらにジムの代表も務め、将来のプロ育成にも注力しているようです。

まだまだ「喧嘩番長」から目が離せませんね。

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