河内家菊水丸の嫁は高橋知裕で再婚なの?現在の病気はガンなの?

今回は河内音頭家元・河内家菊水丸(かわうちけ きくすいまる)さんについてみていきましょう。

 

河内家菊水丸について

河内家菊水丸さんといえば、音楽・お笑い・政治を融合した新聞詠み河内音頭という横断的なジャンルの先駆者です。

「音頭取り」としての活動と並行しながら、一般社団法人・日本ストリートダンス認定協議会の特別講師や、「大阪府太陽の塔内部再生事業 広報担当アンバサダー」などを務める多才な経歴の持ち主です。

そんな河内家菊水丸さんの結婚した嫁は誰なのでしょうか?

 

嫁は高橋知裕

河内家菊水丸さんは2013年7月、テレビショッピングで知られるタレント高橋知裕(たかはし ちひろ)さんと結婚したことを発表しました。

京都・南山城村の役場に婚姻届を提出。

高橋とは甲状腺がん手術後の今年1月、菊水丸を心配した手紙が届いたことから親交を深めた。

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手術後、海草類の食事制限があったため、高橋に「彼女は栄養学が深く、助けられた」とし、再婚を決めたという。

菊水丸によると、当初はこの日、復帰会見で再婚発表の意向だったが、「本来は今日、申し上げるつもりで…ただ、どこから漏れたか…一部に出てしまいまして。恐縮でございますが、結婚いたしました」と語った。

2人は数年前に仕事を通じて知り合い、食事面について栄養管理のサポートを受けたことから交際に発展したといいます。

高橋知裕さんは「河内家菊水丸は、命より大切な声を失うかもしれない病でしたが、今まで通り音頭取りとして、櫓に上がる事が出来るようになりました」と菊水丸の完全復活を喜びつつも、「これも名医に出会えた事と、皆様の温かいご支援のお陰だと感謝の気持ちでいっぱいでございます」と感謝の気持ちを綴った。

これからは「少しでも夫の支えになることができるように努力したいと思っております」と夫婦二人三脚でしっかり歩んでいくことを誓っている。

4歳年下の高橋知裕さんは初婚で、「日本通販テレビショッピング」などに出演しており、今後も仕事を続けていきます。

 

再婚なの?

河内家菊水丸さんは1986年、21歳のときに結婚した前妻と20001年に離婚しています。

最初の結婚の際には、娘と息子を授かっているようです。

離婚後は長らく独身生活を送っていましたが、高橋知裕さんと再婚しています。

ちなみに、吉本興業・松竹芸能の所属タレント同士が結婚するのは初めてとされています。

前妻の情報はまったくといっていいほどありませんので、一般人なのかもしれませんね。

 

現在の病気はガンなの?

河内家菊水丸さんは2012年秋に甲状腺乳頭がんと診断されました。

「ステージ4の甲状腺乳頭がんからきょうでちょうど4年半。(出陣式が)1つの区切りの5年目と重なって身が引き締まる思いです」。

当初は声帯を失う危険性も指摘されていましたが、河内音頭家として声を失うことをあきらめられないと、セカンドオピニオンを受けて手術しました。

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アルバイト情報誌のCMソング「カーキン音頭」を歌い、全国的にブレークした伝統河内音頭継承者、河内家菊水丸さん。

ステージ4の甲状腺がんと診断され、手術しなければ余命は半年。

しかし、手術すれば声を失う-。そんな選択を迫られた。

声を温存してがんを取り除く医師に出会って手術を受け、12月には完治の目安となる丸5年を迎える。

左の首に下から突き上げるような衝撃を感じ、その直後から食べ物が飲み込みにくい感じがしていたそう。

半月ほど違和感が続き、それが、魚の骨が喉に刺さったような痛みに変わったようです。

病院で魚の骨を取ってもらおうとしたのですが、見つからない。

念のためにと、エコー(超音波)検査を受けたんです。

普通は首のあたりだけで終わるのですが、胸のあたりまで診てくれ、そこで「あっ」といって医師の手が止まりました。

「甲状腺の左右に3つ、4つがんがあり、リンパ節にも転移している」と言われたんです。

30歳以降、年2回人間ドックを受診もし、魚の骨を取ってもらうつもりだったのに…。

「目の前が真っ暗になる」とかではなく、何が起こったかを冷静に分析しようと考えました。

甲状腺の病気は女性に多く、男性は前立腺がんなどの検査はあるものの、甲状腺と乳腺の検査は省略されることがあるようで、人間ドックでも見過ごされたようです。

「手術すれば術後10年、20年生存する人は多い。手術しなければ半年」と説明を受けました。

気管切開手術を受けて、歌えますか、と聞くと「声を失うことは覚悟してください」。

手術しなければ半年、手術すれば声を失う-。強烈な選択を迫られました。

高校生から歌ってきて、自分には河内音頭しかない。

「手術せずに歌を歌いたい。それで生命が尽きるのは仕方ない」と結論を出し、当時のマネジャーに伝えました。

凄い覚悟ですね。

 

手術は成功

吉本興業の大崎洋社長らが「がんを取り除いて、声を残してくれる医師がいるはず」と探してくれたといいます。

そんな名医がいるのなら地球の裏側にでも行くつもりでしたが、調べてみると、その医師は大阪警察病院にいました。

しかも、この病院は自分が生まれたところでした。

「声出してください」と言われ、「アー」と声が出た時に声帯が残ったと実感し、医師と握手しました。

後から聞いたのですが、がんが声帯に浸潤していて、そぎ落としてもそぎ落としても取り切れず、最後の薄皮一枚ぐらいが残って、そこにほかの組織を移植した、とのことでした。

手術後は、劇的に回復し、肺への転移もなく、直近の検査でも異常はなかったといいます。

周囲の人やいい先生に恵まれました。感謝しかありませんね。

今、病気の前ははるか昔のことになってしまったような気がします。

一度は諦めかけましたけど、2025年の大阪万博会場の盆踊りで歌うのが次の目標です。

当日の盆踊りでの歌も作成中です。

「大阪万博音頭再び」みたいなもんですかね。

「こんにちは」ではなく、「お帰りなさい」とか「お久しぶり」みたいな歌詞を練り上げています。

手術が無事成功したようで、本当に良かったですね!

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