三國連太郎の嫁の画像や結婚歴、結婚相手まとめ。息子の佐藤浩市と確執あり?

三國さんの結婚歴が話題になっているようです。

一体どんなものなのでしょうか。

どうやら息子さんと確執があるとの噂もあるようです。

そんな三國さんの結婚や家族のついてまとめました!

三國連太郎の嫁や結婚回数について

三國さんの結婚歴が話題になっていますが、どうやら結婚回数が多いようです。

三國連太郎さんは女性関係が奔放だったことでも知られており、4回の結婚をしています。

三國さんの女性関係は、かなり華やかなものです。生涯で4回の結婚と3回離婚、また女優との不倫と、とにかく若いころはモテていた三國連太郎さん。

4回結婚しているようですね。

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相当モテモテだったようですね!

 

結婚歴について

気になる結婚歴は、どのようなものなのでしょうか。

最初の結婚は中国から引き上げる1946年の同じ佐藤姓の女性との偽装結婚でした。1948年に身ごもっていた佐藤さんと離婚しています。

1回目の結婚は、佐藤さんという方との結婚のようですね。

どうやら偽装結婚だったようですね。

1948年か1949年ごろに鳥取に移住し、その土地の資産家の娘である林政枝さんと再婚。

1951年に映画「善魔」でデビューした後、1952年に林政枝さんと離婚しています。

2回目の結婚は、林さんという方がお相手のようです。

その後芸能界で数多くの女優とのうわさがあり、3度目に結婚されたのは神楽坂一の売れっ子芸者だった石原とし子さんです。

とし子さんは映画「戦国無頼」の撮影の合間に知り合ったそうです。

1957年に結婚し、1960年に男の子が生まれています。

この石原さんとの間に出来たのが俳優の佐藤浩市さんです。

1962年に三國さんは、また家庭を捨てて当時の若手女優太地喜和子さんと同棲。

太地さんは当時19歳、三國さんは41歳です。

しかし同棲開始3か月で「疲れた」と置手紙を残して去って行くのでした。

3回目の結婚は石原さんという方で、この石原さんとの間にできた子供が、佐藤浩市さんのようです。

 

4回目の結婚相手は?

最後の奥さんは、どのような方だったのでしょうか。

1976年に4度目の結婚をします。三國さんは糖尿病を患って入院していたそうですが、この時看病に来てくれていた友子さんという方が4度目の奥様です。

「これから先、1人で生きていくもんだと思っていたが、どうやら寂しかったみたいですね」と三國さんは4番目となる結婚にあたってコメントされています。その後も、友子さんとの生活を大切にされ、晩年には「友子のために長生きしなくては」と語っていたそうです。

若いころには結婚しても長続きしていなかったことを思うと、随分と家庭的になられたのだな、とわかります。

友子さんという方のようです。

とても大切にされていたようですね!

 

息子・佐藤浩市さんとの確執

息子である佐藤浩市さんとの確執が話題になっているようですが、一体どのようなものなのでしょうか。

そして10年後の1996年、2人は映画『美味しんぼ』で再度親子共演。
今度は佐藤さんは主役の山岡士郎役、三國さんは主人公との間に確執を抱える父親・海原雄山役を演じ、実生活さながらの配役が当時は話題となりました。

先に原作者の指名によりオファーを受けていた三國さんが、息子の士郎役に佐藤さんを指名したことからこの配役となっています。

2人は映画で共演しているようです。

映画『美味しんぼ』

メインビジュアルも、まるで実際の2人の関係を表しているかのようなものになっています。

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そのメインビジュアルがこちらです。

確かに対立しているようなビジュアルで、2人の関係を表しているようですね。

そんな2人は、制作発表会の際に火花を散らします。

会見中は、互いを「佐藤くん」「三國さん」と呼び合うなど、終始、他人行儀。
さらに、浩市の「俳優はサービス業」という発言を受けて、三國が「サービス業などという考え方は間違っている」と非難したものだから、会場は不穏な空気に。

栗田さん役の羽田美智子が、引きつった表情のまま無理やり笑みをつくっていたのが、なんとも痛々しくて印象的でした。

引用:リアルな確執も話題に……三國連太郎と佐藤浩市が共演した『美味しんぼ』

お互いが他人行儀、また制作発表会でも対立しており、2人の溝は深いようですね。

 

息子・佐藤浩市さんとの確執の原因は?

2人の確執の原因は何だったのでしょうか。

佐藤浩市さんは三國さんの3人目の結婚相手との間に生まれていますが、佐藤さんが小学6年生のときに三國さんは2人を捨てて家出をしてしまいます。

父が蒸発してからというもの彼の母親は女手ひとつで佐藤さんを育て上げたのです。

「三國さんは恋人をつくり、浩市さんが幼いときに家を出て行ってしまった。“これからは他人だ”と言われたことは子ども心にそうとうショックだったことでしょう。大人になって久しぶりに再会し、“役者になりたい”と告げたときも、三國さんの反応は、“そうか”と寂しいものでした」(芸能レポーター)

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これにより、佐藤さんと三國さんの間には親子の確執が生まれています。

2人の間に確執が生まれた背景には三國さんの不義理な言動と女性関係にだらしのない性格があったというわけです。

どうやら、三國さんの女性関係のだらしなさや言動が原因だったようですね。

 

その後について

確執のあった2人ですが、その後どうなったのでしょうか。

公の場でもその不仲さを隠さなかった佐藤さんと三國さんでしたが、佐藤さんが結婚し孫が誕生した頃から、2人の関係が変化し始めたようです。

「孫が生まれると、それまでの三國さんの頑なな態度が一変しました。三國さんは寛一郎さんを溺愛し、自分を『レンちゃん』と呼ばせて誕生日や運動会には必ず駆けつけました。浩市さんが『カン』と呼ぶ息子が“かすがい”となって、浩市さんと三國さんとの距離も次第に縮まり、親子で談笑する姿も見られるようになりました」

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その後佐藤さんと三國さんの距離は徐々に縮まり、2000年には和解したと言われています。

どうやら和解できたようですね!

お孫さんができたことが転機だったようですね。

私人としては自由奔放に生きた三國さんですが、2013年4月14日に急性腎不全により息を引き取りました。
享年90歳でした。

以降はCMでの共演や、トークでも佐藤さんは三國さんについて尊敬している旨を語るようになっており、三國さんが他界した際には長男である佐藤さんが喪主を務めています。

私人としては傍若無人の振る舞いを見せた三國さんを「ひどいよ」と突き放しつつも、内心は役者としての本分を全うした父に敬意を表していたのです。
このことについて『週刊女性』(2015年3月10日号)は佐藤さんが役者になるきっかけを明かしています。
同誌によれば、彼が役者になるきっかけを与えてくれたのは父親の三國さんだと報じており、佐藤さんが次のように語ったとも伝えています。

「ひどい父親だった。
それ以上に僕に残してもらったものがある。
僕がここに立って、やりたいと思える芝居をやれるのは三國連太郎という人がいたから」
「彼から受け取ったものは父親としての人生より数倍濃厚なものだったかもしれない。
自分がどこまで理解しているかわからないけど、それを自分の中で守って行きたい」

三國さんへの敬意が感じられる言葉ですよね。

確執がありながらも敬意を表せるなんて、三國さんも佐藤さんも本当に素敵な方々ですよね!

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