林家彦いちが嫁の神田茜と結婚。現在は離婚。弟子はいるの?

新作落語を得意とする、鹿児島県出身の落語家・林家彦いちさん。

落語の他に執筆することも好きで、落語家になる前は武道をたしなんでいたこともあるんです。

多趣味な男がラジオで暴露した思わず椅子から落ちそうになった内容とは一体何だったんでしょうか?

林家彦いちが嫁の神田茜と結婚。

強面な印象のある林家彦いちさんですが、実はとっても優しい方なんだとか。

趣味は釣りやダイビングなど、本職の落語以外にもかなりアクティブな一面を持っています。

嫁は日本講談協会理事

神田 茜は講談師、小説家
北海道帯広市出身。
師の2代目神田山陽の死後、落語協会に入会した。
本名:安田(旧姓・鈴木)明美。
出囃子は『もしもかめよ』。

結婚前は、非常に鋭いセンスを持った新作講談で人気を博した。
結婚後、高座の仕事はセーブしているが、反面、小説や、新聞のコラムなどの執筆活動を活発に行っている。
日本講談協会理事。

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奥様の名前は神田茜さん、↑の画像のキャリアウーマンな女性です。

事実、奥様は日本講談協会理事を務め、小説家を本業とされています。

師の2代目神田山陽の死後、落語協会に入会したという経緯から、林家彦いちさんとはその時に出会ったのではないかと思います。

嫁と「ボーリング・フォー・コロンバイン」

「ボーリング・フォー・コロンバイン」というドキュメンタリー映画で、アメリカという国がよくわかった。

なぜ、アメリカ人は銃を持つのか。

危険な人物を見ると話し合いもせず、発砲するのか。

それは、異常に怖がりな人種だから。

黒人が襲ってくるのではないかと、銃を持ち、撃たれるかもしれないと先に撃つ。

まだおきていないことに、勝手に先走って過剰な武装をする。

そう、過剰な武装をすると、ろくなことはない。

わたしはある日、地震がとっても怖くなり、非常持ち出しリュックを三つ用意した。

缶詰や非常食や、着替えや小銭を詰め・・・しかし、三年経っても使うことはなくいつしか賞味期限がきれ、着替えもサイズが小さくなり小銭も新聞の集金が来るたびに減っていき、今やこんなリュックを三つも持って逃げようが、一日でも生き延びられないだろう・・・という代物になった。

↑の内容は、林家彦いちさんの奥様、神田茜さんが「ボーリング・フォー・コロンバイン」というドキュメンタリー映画を見た時の感想です。

共感できる部分が多く、面白かったのでご紹介しようと思いました。

日本は地震大国です。

備えておかないと不安な部分はあるものの、確かに数年経つと、賞味期限が切れてしまって、いざとなった時には「なんで新しいものに取り換えなかったんだろう」と思ってしまいそうですね。

現在は離婚。

林家彦いちさんと奥様の神田茜さん、残念ながら、現在は離婚されてしまったそうです。

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20年目の離婚

どっかで聞いた声だな…と思っていたら、「今週のエンターテイメント」のコーナーが始まりました。

その冒頭に妻の神田茜が…とはじまったので、すぐに林家彦いちさんだと分かりました。

そのコーナー冒頭で林家彦いちさんは、妻・神田茜さんが最近は講談師としてよりも、文筆家として活躍しているという紹介をはじめ、奥様の近著紹介などをぶっこんできました。

最近はよく話をするようになったとのこと。

すでに結婚20年とかで、仲の良いことだなぁと思っていました。

そして、とくに最近はじっくり集中して話をして…という展開から、いきなり、「3日前に離婚しました」と衝撃発言。

そうなんです。

林家彦いちさんが奥様との離婚を発表したのは、ラジオ番組の中だったのです。

2人は結婚20年経っても仲が良いのかな…と思っていると、いきなり、「3日前に離婚しました」と衝撃発言。

ラジオの視聴者は椅子から落ちそうになるくらいびっくりしたと思います。

それにしても、なんとなくですが…奥様の神田茜さんよりも林家彦いちさんの方が寂しそうな気がしてしまうのは私だけでしょうか…。

弟子はいるの?

離婚した林家彦いちさんですが、実は寂しいと思う暇もないくらい忙しい人なのです。

3人の弟子

林家やまびこ
東京都出身

2016(平成28)年7月 入門
2017(平成29)年6月21日前座となる

林家きよひこ
北海道出身

2016(平成28)年9月 入門
2017(平成29)年10月1日前座となる

林家ひこうき

東京都出身

2017(平成29)年9月 入門

そうなんです、林家彦いちさんには現在3人のお弟子さんがいらっしゃいます。

皆さん若い方ばかりでとてもエネルギッシュな模様。

これからがとても楽しみですね!!

トカゲとカメ

・ペットショップで偶然傷ついたトカゲを発見。

尻尾が切れているので売り物にならないと言われたフトアゴヒゲトカゲを安く譲っていただき飼育することに。

ハラフトシと命名。

その頃、中野の熱血獣医の野村先生を知りトカゲと共に何度か通う。

・ダッククス小峰さんとカメ友になる。

・師匠の息子が噺家になる際「噺家になるとカメの面倒みている時間ないから、もらって~」と言われそのままウチにカメが2頭やってくる。

なぜかその時「オレも噺家だっすが・・」と言えなかったのは、ちょっとカメを飼ってみたかったからというのと彼が普段からボケていたからそっとしておいた。

その後、陸カメ用の小屋を制作。

床材やエサに注意を払う。

トカゲは手元で11年飼育し他界した。

カメは13年経過するもすこぶる元気。

林家彦いちさんが最初にカメを飼い始めたのは、尻尾が切れて売り物にならないカメを安く譲ってもらったのがきっかけだったんだそう。

そういうところに林家彦いちさんの優しさが滲み出ているような気がします。

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