落語家・桂歌之助の嫁の画像や離婚の噂について。

今回は落語家の桂歌之助さんについてみていきましょう。

桂歌之助について

1997年3月に2代目桂歌之助に入門し、歌々志(かかし)を名乗るようになった桂歌之助さん(本名:横田純一郎)。

同年5月の「歌之助百噺」にて初舞台をふみ、師匠である2代目の歌之助唯一の弟子となっています。

2007年に3代目歌之助を襲名し、2017年5月には芸歴20周年を記念して、20日間ぶっ通し落語会『歌之助やけくそ二十日間』(日替わりで40本のネタを披露)を開催しています。

古典落語中心ですが新作落語も演じている桂歌之助さん。その結婚した嫁は誰なのでしょうか?

 

嫁の画像は?

桂歌之助さんの奥さんについては、まったくといっていいほど情報がありませんでした。

結婚しているかどうかも定かではないですが・・・

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桂歌之助さんにはどうやら離婚しているとの噂があるようです。

 

離婚の噂について

桂歌之助さんを調べていくと、なぜか離婚というワードが出てきます。

そもそも結婚しているかどうかも不明な桂歌之助さんですから、離婚の噂があるのはおかしな話ですよね・・・

結局のところ、この噂の真相はわかりませんでした。

 

初代歌之介について

初代桂歌之助(1872年ないし1873年 – 1916年1月13日)さんは、本名: 春井和三郎・法名: 浩譽放歌禪定門で活動していました。

初め1891年ごろから5代目林家正三の門下で新樂となる。

1892年頃に初代桂小文枝(後の3代目桂文枝)の門下に移り、小枝、1898年頃に文歌を経て、1901年に7代目桂文治の身内になり歌之助を名乗る。

桂派の崩壊後は、初代桂枝雀に付いて寿々女会に参加し、後に三友派に移る。

若年時から実力があり、後に三友派に加入した際は7代目桂文治の身内になり、香盤順では初代桂春團治、2代目桂小文枝、2代目桂三木助、2代目林家染丸らを抑えて若手の最上位を保っていた。

妻は東京から来た長唄紫紅会の杵屋六歌女で、夫妻共々人気者だったことから、芸人として恵まれた生活をおくっていた、1914年ごろまで活動、大成する前に若くして亡くなった。

音曲噺や浄瑠璃物「雪こかし」が得意であったこと(歌之助の名の由来)、優しい人柄で女性に人気があったこと、博打に目がなかったことなど、断片的なエピソードは伝えられていますが、まとまった伝記は残されていません。

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その他にも「幽霊の片袖」「出来心」等が得意だった。

ネタは豊富で独特の愛嬌があったという。

音曲の作詞も手がけており、「渦巻」はこの人が作詞し、妻の杵屋六歌女に唄わせていた。

作詞もしてたって凄いですね!

 

2代目から3代目へ

2代目桂歌之助(1946年7月30日 – 2002年1月2日)さん(本名: 北村和喜)は、千日劇場に出ていた桂米朝に入門し、桂扇朝を名乗るようになります。

落語会開催のたびに不幸な出来事(下記詳細)が起こると評されたために改名を考え、姓名判断に凝っていた香川登志緒の勧めもあって、1974年1月に歌之助を襲名。

落語会を開くたびに大きな事故が起こったり、著名人の訃報があったりしたため、「不幸を呼ぶ男」「災害を呼ぶ男」という異名が付いてしまい、本人も自嘲半分で「恐怖の大王」と称していた。

代表的なものでは天六ガス爆発事故、千日デパート火災、ホテルニュージャパン火災、日航機羽田沖墜落事故、コンコルド墜落事故のほか、江利チエミ、志村喬、ダイアナ妃の死去などがある。

特に天六ガス爆発事故の際は、落語会を開く予定の寺が負傷者や遺体の収容所になったため、会は中止となった。

また、コンコルド墜落事故は「桂歌之助百噺」最終回当日の出来事だった。

ネタは古典、新作両方得意とし、端正な語り口と知的ユーモア、鋭い批評性を特徴としていました。

1997年9月から2000年にかけて、毎回違う噺を3題ずつ、合計100の演目を高座にかける落語会「桂歌之助百噺」を開いています。

 

死因は?

糖尿病とも闘いつつ、文筆家としての顔も持ちながら精力的に活動していましたが、2002年1月2日に食道がんのため57歳でこの世を去りました。

1997年2月に膵炎で入院中の歌やんを見舞いに行った。

この時「弟子志願者」として付き添っていた青年がいた。

横田純一郎くん、歌やんが一時目指していた「建築科」出身の秀才である。

1997年5月9日、横田くんは正式に弟子入りして、歌之助復帰独演会で、桂歌々志として前座をつとめ、これが初舞台である。

その後、2002年4月1日に太融寺で追善落語会。

2002年7月25日にアイル・モレコタで「歌之助さんを偲ぶ会」が開催されました。

また2003年12月には遺稿集『桂歌之助』が刊行されました。

手作りの骸骨の人形を操って噺をする珍品「善光寺骨寄せ」を得意ネタとしており、現在人形と共に弟子の3代目桂歌之助さんに受け継がれています。

師匠の意思を受け継いで、これからも落語の世界で頑張っていってほしいですね。

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