
今回は神和住純さんのテニスの功績、嫁との結婚までの出会い&馴れ初めや息子について調べてみました。
神和住純のプロフィール
まずは神和住純さんのプロフィールを見ていきたいと思います。
日本人戦後初のトーナメントプロ選手。1980年から国内7年連続賞金王。1997年から2004年までデビスカップ代表監督。1973年全米オープンで3回戦に進出。これは錦織圭が2008年に進出するまで日本人男子最後の全米3回戦進出だった。
日本人テニスプレイヤーとして素晴らしい功績を残されていますね。
錦織圭選手が現れるまでは神和住純さんが全米オープンの記録を保持されていたんですね。
引退後はテレビでバラエティ番組や情報番組でコメンテーターとして出演したりしています。
テニスの実況もされています。
様々な方面でテニス界のパイオニアとして活躍されているようですね。
テニス界のパイオニアの成績
神和住純さんの今までのテニスの成績を見ていきたいと思います。
法政大学第二高校進学後硬式に転向し、1965年全国高等学校総合体育大会テニス競技大会完全優勝と全日本ジュニアテニス選手権単複優勝を飾る。世界ジュニアテニス選手権にも出場し、サンシャインカップ団体3位にも貢献した。
法政大学ではインカレシングルス3連勝を果たし、1967年東京ユニバーシアードシングルス銀メダル、1970年トリノユニバーシアードではダブルス金メダルを獲得する。1965年にはデビスカップ初選出。1968年の全豪選手権でグランドスラム初出場。卒業後、住友軽金属工業(現・UACJ)に入社。1971年から全日本テニス選手権単複3連勝を飾る。また、同年の全仏オープンのダブルスでは坂井利郎とのペアで4回戦(ベスト16)に進出。
学生の頃から既に実力があったようです。
1973年、日本人では戦後初のトーナメントプロ第1号となる。この年WCT年間最多34大会出場、全米オープンのシングルスで3回戦進出。1974年、当時世界トップクラスのスタン・スミスを全仏オープンと全米プロテニス選手権で2度破る。1980年に日本もプロオープン化承認されると、国内の7大会のシングルスに優勝し、7年連続賞金王となる。1983年の「グンゼワールドテニス」(1974年(昭和49年)から1993年(平成5年)まで日本で行われたエキシビション大会)では、ロイ・エマーソン、ロッド・レーバー、ジョン・ニューカムといった往年の世界のトップ選手を次々に破って優勝した。
戦後初のトーナメントプロ第一号は神和住さんだったんですね!
驚きました。
世界のトップ選手から勝って優勝もしています。
過去の指導実績
引退後、神和住さんは指導者としてどのような実績を残されているのでしょうか?
97年~2004年にデビスカップ代表監督、日本テニス協会理事などを歴任。99年からは法政大学教授、現在に至る。
代表監督、そして日本テニス協会の理事などもされていたんですね。
さすがは日本を代表するテニスプレイヤーです。
現在は法政大学スポーツ健康学部スポーツ健康学科の教授をされています。
若い世代にスポーツの楽しさを伝えることに尽力しているようです。
嫁について
元プロテニスプレイーヤーの神和住純の嫁はどんな人なのでしょうか?
テニス界のパイオニアである神和住純さんの嫁との結婚までの馴れ初めや夫婦生活など奥さんの情報は検索したのですが、全然ありませんね。
僕 は 結 婚 が 早 か っ た ん で す け れ ど も 、あ と は 飯 を 食 え る だ け の 賞 金 を 稼 げ れ ば いいと。
結婚は若い頃に既にされているようです。
若くても賞金だけで嫁を養っていけるほど稼いでいたんですね!
息子について
息子がいるようですが息子は神和住純さんのようにテニスをしているのでしょうか。
息子の現在の様子や神和住純さんとの関係なども嫁と同様に検索したのですが、情報が出てきませんでした。
現在も指導者として活躍している神和住純さんの今後の活動にも注目していきたいですね。
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