永田雅一の嫁は誰?息子は永田秀雅で孫はいる?養女がいたの?

周囲の驚きを物ともせず、日本の歴史に残る映画会社・大映の舵を取って来た戦後のドン・永田雅一。
彼は一度も結婚していないけれど息子や娘がいたという噂は本当なのか?
梶芽衣子との関係についてご紹介します。

永田雅一の嫁は誰?

第二次世界大戦の影響を受けて誕生した大映の社長として「羅生門」などを製作したり、プロ野球パリーグの初代総裁だった、映画界のドン・永田雅一さん。
↑の画像を見ても分かる通り、見た目からしてかなりの迫力がある人物なのです。

1分間の絶句

1960年頃にプロ野球再編問題が持ち上がったとき、1リーグ8球団にしては、という話が持ち出されたオーナー会議で「いや日本シリーズを考えれば、両リーグ制がいいんだ。だが両リーグ制にすると、みんな巨人と一緒になりたがる」と言ったあと、「だからジャンケンで勝ったものが、セでもパでも好きなほうを選ぼう」と発言、他球団のオーナーは全員イスから転げ落ち、1分間ほど絶句してしまったという。

他人の意見に耳を傾けるよりも、自分の直感を信じて突き進める才能があった永田雅一さん。
そのセンスは誰よりも長けていたようですが、現在のセパリーグ制を作ったのは永田雅一さんだったなんて、これはこれは驚きでした。

結婚より仕事

東京スポーツ新聞を経営していた時期がある。
これは、同社の事実上のオーナーであった児玉誉士夫と親交があったことによるもの。
東スポは永田の手腕により全国紙へと成長した。
なお、プロ野球・国民リーグの大塚アスレチックスから金星スターズを経て大映スターズの経営に携わった大塚幸之助は、最晩年東スポの監査役を務めていた。

やり手のシンボルのような存在だった永田雅一さんは大映、プロ野球の総裁であると同時に、一時は東京スポーツの経営にも乗り出していた時期があります。
永田雅一さんのおかで、東スポは全国紙へ成長していたのです。

スポンサードリンク

永田雅一さんは結婚よりも仕事に夢中だったのか、彼は一度も結婚することはありませんでした。
だから嫁も一度もいたことがないのです。

息子は永田秀雅で孫はいる?

結婚は一度もしていない永田雅一さんですが、実は息子さんと娘さんがいたらしいのです。
その息子さんだと言われている方が↑の画像の右側の男性です。

写真の内容は打ち合わせをしているところなのだとか。
右の男性が永田雅一さんの息子・秀雅さんです。

大映の倒産と息子の死

もと大映副社長・永田秀雅氏の訃報が飛び込んできました。
私は大映在籍中にとても可愛がっていただいた恩人の死です。

10月3日に亡くなられ、ご家族だけでの葬儀を終えられたと伺いました。
大映九州支社の宣伝課長として在籍した私は、秀雅さんが東京撮影所次長をされていたころからのお付き合いになります。

相手はおえら方ですが、歳もそんなに離れていないし、毎月の会議以外にも各地のイベントやご挨拶回りで一緒に旅をすることもあり、私は思ったことを何でも言えたし、一方的に兄貴分みたいに思っていた方でもあります。

スポンサードリンク

大映が倒産してから約30年後にお付き合いが復活しました。
随分寂しかったご様子で、私と電話でお話したことが楽しみの一つと仰ってくださり、時々は震える手で書かれて下さった手紙は10通を超えます。

それでも手紙の文面や電話では、まだ口だけは達者だからと常に明るく振る舞っておら
れたのが、今は逆に悲しい思い出につながります。
秀雅氏がお父さん(永田雅一氏)から聞いた話だと、永田家のルーツは京都ではなく熊本だそうで、元気になったら熊本に行ってみたいと言われていて、それでは私が熊本を案内しますねと約束をしていました・・・。
私は意気消沈しています。

外食産業専門コンサルタント会社「株式会社ブグラーマネージメント」代表取締役社長兼CEOである永田雅乙は曾孫にあたる。

大物の父を持って、大映で働いていた息子・秀雅さんでしたが、大映が倒産に追い込まれてからは、寂しい生活を送られていたようです。
権力やお金があった時は周囲に人が大勢いたけれど、全てを失ったあとは誰も残らなかったのかもしれませんね。

ちなみに、なぜ結婚もしていない永田雅一さんにお子さんがいるのかというと、養子縁組を行ったからなんだそうです。
つまり息子・秀雅さんとは直接血が繋がっていたわけではありませんでした。

養女がいたの?

昭和25年にはあの黒澤明監督作品「羅生門」を世に出した大映。
素晴らしい作品が多数揃った映画会社だったのです。

養子縁組関係

TBSラジオのディレクター(のちプロデューサー→TCエンタテインメント専務取締役)で『コサキン怪傑アドレナリン』及び後継の『コサキンDEワァオ!』、『伊集院光 深夜の馬鹿力』などを担当した永田守は孫。

特に『深夜の馬鹿力』においては「永田家には足を向けて寝られないほどの大恩がある」と語る安部譲二が数々の企画に出演するなど、永田家の影響力を窺い知る逸話がある。
その守に雅一は「大映パパ」と呼ばせていたという。

歌舞伎役者市川雷蔵の妻・太田雅子(一般人)は永田と養子縁組関係にあった。

永田雅一さんには息子が授かった孫がいたり、太田雅子という女性を養子縁組したことがありました。
この太田雅子という女性どっかで名前を聞いたことがあるんですよね…。

太田雅子は梶芽衣子

・1965年

八雲学園高等学校を卒業後、日活へ入社。

映画『悲しき別れの歌』にて本名の太田雅子で女優デビュー。

映画『青春前期 青い果実』にて初主演。

1969年

芸名を現在の梶芽衣子へ改名。

大物女優・梶芽衣子の昔の芸名が太田雅子だったのです。
もしかしたら梶芽衣子が養子縁組された娘なのか!?と思って調べてみましたが、旦那様が歌舞伎役者市川雷蔵というところが一致しないので、どうやら別人というこのなのです。

しかし同じ名前を使う…というのは偶然なのか、まだ何となく不思議な気持ちは残っているのでした…。

スポンサードリンク

スポンサードリンク



Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)