山本譲二の妻は?離婚届けの理由は?現在や耳の病気について!

1980年代、「みちのくひとり旅」のヒットで一躍人気演歌歌手となった山本譲二さん。

北島三郎さんを「親父」と慕う北島ファミリーの長男という感じですよね。

そんな山本譲二さんの妻はどのような方なのかを調べていこうと思います。

年齢も年齢なので、夫婦ともに色々と心配が絶えないようなのです・・・

 

山本譲二について

山本譲二さんは1950年、山口県生まれ。

1967年の夏の甲子園大会に出場するほどの実力を持った高校球児でしたが、プロ入りするという選択はせず、演歌歌手になるために上京します。

職を転々としながらそのチャンスをうかがっていましたが、体を壊してしまい泣く泣く帰郷。

ですが、母親の叱咤を受け、覚悟を決めて再度上京するそうです。

スポンサードリンク

再度、職を変えながらスナックで弾き語りをしていたところに、たまたま作曲家の先生が現れ、芸能界に誘われたそうです。

そして、1974年歌手デビュー。

当時の芸名はダーティーハリーをもじって「伊達春樹」だったそうです。

ですが、全く売れず、窮地に立たされることになります。

 

北島三郎

歌手になったものの、このままだと何も爪痕も残せないと危機感を覚えた山本譲二さんは、最後の決断として北島三郎さんの門を叩きました。

ですが、最初は全く相手にしてもらえなかったそうです。

足しげく通くこと十数回、北島三郎さんからかばんを渡され、付き人になることが許されたといわれています。

当時の北島三郎さんはまだまだ若く元気だったこともあり、しつけも厳しかったそうです。

その環境の中で山本譲二さんはオーディション番組に参戦。

見事10週勝ち抜きを達成し、本名での再デビューを果たすのですが、また、鳴かず飛ばずの日々が続いてしまったそうです。

 

「みちのくひとり旅」

1980年、山本譲二さんの人生を変える曲である「みちのくひとり旅」に巡り会うことになります。

ですが、この曲を歌うことは山本譲二さんにとっては背水の陣でした。

北島三郎さんからは「この曲でダメなら歌手をやめろ」と宣告されていたのです。

リリースされてしばらくはこれまで同様、ほとんど売れていなかったそうです。

ですが、歌番組で紹介されたことで人気に火がつき、大ヒット。

1981年の紅白歌合戦に出場し、最終的には100万枚以上売れたといわれています。

売れている時はあらゆるところで引っ張りだこだったようですが、あるランキング番組でふんどし姿で歌ったことがあります。

いかにも日本男児というその姿は、今でも語り草となっています。

 

耳の病気

「みちのくひとり旅」のヒットによって人気演歌歌手の仲間入りをした山本譲二さん。

その後もヒット曲をいくつもリリースする他、時代劇に出演したり、親交のあるとんねるずの木梨憲武さんとのデュエットでも紅白歌合戦に出演したりします。

スポンサードリンク

2007年には北島三郎さんからのれん分けのような形で独立し、何もかもが順風満帆に見えた山本譲二さんに暗い影がさすことになります。

2009年に右耳の内部に腫瘍が見つかるものの、顔面神経にぶら下がっているために手術が困難なため、除去できないまま放置していたことで、左耳も聞こえにくくなってしまったそうです。

コンサートなどではイヤーモニターを装着するので、聞こえる音量に調節すればいいのでしょうが、普段は補聴器をつけているわけではないので、音は聞き取れないけれど、読唇術のような形で言葉を理解することもあるそうです。

突発性難聴などで耳が聞こえにくくなるアーティストが多くなってきていますが、音楽活動の上で耳は非常に大切な器官ですから、現在の状態でも歌うことができている山本譲二さんはすごく努力していることがうかがえます。

 

山本譲二の妻

山本譲二さんは1987年に結婚、奥さんの名前は「悦子」さんといいます。

山本譲二さんがまだ売れないスナック回りの歌手だったころからのつきあいで、当時は女優やモデルとして売り出し中だった悦子さんが山本譲二さんの生活を支えていたそうです。

夫婦の間には「琴乃(ことの)」さんと「妹果(まいか)」さんというふたりの女の子が生まれ、上の女の子は歌手デビューもしました。

売れない頃から山本譲二さんを支えてきた悦子さんでしたが、ついに堪忍袋の緒が切れたことがあったそうです。

 

離婚届の理由

2002年頃、山本譲二さんの前に悦子さんが離婚届を出されたそうです。

理由・原因は度重なる山本譲二さんの浮気。

何でも多い時には7人くらい他の女性とのおつきあいがあったそうですので、どんなに辛抱強い奥さんでも、怒っちゃいますよね。

離婚届を出された山本譲二さんは、本人欄ではなく保護者欄に名前を書いたりするなど「勘弁してほしい」と抵抗したそうですが、そのうちに、「勘弁しないのなら、俺が出ていく」と逆ギレのようになったそうです。

ですが、悦子さんの本気度が伝わったのか、山本譲二さんは謝りはしなかったようですが、身勝手な態度を取り下げ、以後浮気をしなくなったといわれています。

売れてなかった時から支えてくれた女性なのに、なんで裏切るような行動が取れるのでしょうか?

こればっかりは山本譲二さんの人格を疑ってしまいます。

 

乳がん

山本譲二さんにはあまり反省の色が見えていないようでしたが、離婚の危機を乗り越えた夫婦に、2010年、再び試練が訪れます。

悦子さんが乳がんになってしまうのです。

発覚した時はステージ1か2だといわれていて、幸い深刻な状態ではなかったようですが、手術で乳房やリンパ節の切除しなければなりませんでした。

それでも、悦子さんは気丈に『私は大丈夫。だから譲二も仕事に差し障るような精神状態でいないで』と山本譲二さんの仕事を気づかっていたそうです。

悦子さんがガンで闘病中に、山本譲二さんは恩返しとばかりに、なれない家事をしていたといわれています。

なんだかんだあっても、長くともに歩んできた夫婦ですから、お互いに思いやる心が育まれていたのでしょう。

「自分にはもったいない妻」だと山本譲二さんは悦子さんに感謝しているそうです。

これからも、時に悦子さんは山本譲二さんの耳となり、悦子さんが具合の良くないときは、山本譲二さんが支えあっていくことでしょう。

スポンサードリンク

スポンサードリンク



Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)