小田龍一の嫁は誰?弟は新?シードやスイングについて!

今回は、鹿児島県のプロゴルファー、小田龍一さんについて調べてみました。

 

小田龍一について

小田さんは現在misumiに所属しているプロゴルファーです。

2001年にプロゴルファーテストに合格し、

プロ初年度となった2002年には26位タイが最高であったが、2003年は自身最終戦となったカシオワールドオープンで14位タイとなるなど徐々に成績を上げ、2004年には東建ホームメイトカップでの14位タイ、ウッドワンオープン広島での2位など、4度のトップ10入りを果たし、2005年から日本ゴルフツアーのシード権を獲得。

序盤はあまり芽が出なかったようですが、徐々に成績をあげ、注目されていったようです。

2006年はコカ・コーラ東海クラシックでの3位タイ、2007年はANAオープンでの4位、2008年にはシーズン初戦の東建ホームメイトカップでの5位が最高と徐々に最高位が下がり。

本人曰く「もうすぐ優勝できると言われながら、ずっとくすぶっていた」状態が続いていた。

最初の頃に比べると、うんと順位は上がっていると思いますが、やはりプロである以上は上位をキープしたいですよね。

「もうすぐ優勝できる」というプレッシャーもあったのかもしれません。

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メジャー大会で自身初のツアー優勝を果たす

その後、持ち直し、第74回日本オープン選手権にて

小田は初日こそ2オーバー74の45位タイだったが、2日目2アンダー71で5位タイに浮上する。

最終日は8バーディー・3ボギーの5アンダー67で、通算6アンダー282となり、同スコアで並んだ石川遼、今野康晴とのプレーオフとなる。

プレーオフ1ホール目では、3打目をピンそばに寄せた2人に対し自身はアプローチショットを3メートルほどオーバーするも、返しのパーパットをねじ込み、プレーオフ2ホール目に突入する。

2ホール目で今野、石川がいずれも3打目を外す中、バーディーパットを慎重に決め、2ホールにわたるプレーオフを制し、自身初のツアー優勝をメジャー大会で果たすという快挙を成し遂げた。

悲願の優勝をメジャー大会で果たすとは、夢のような出来事ですね。

順位が下がりながらも必死に努力し練習を重ねてきた成果が報われるというのは、見ているこっちもホッと胸をなで下ろすような嬉しい気持ちになります。

 

小田龍一の嫁は誰?

さて、そんな漫画のような見事な優勝を果たした小田龍一さんの奥様とはどのような方なのでしょうか?

奥様とは2003年に結婚されておりました。

お名前を小田優子さんといいます。

名前の通り、とても優しそうな方ですね。

小田龍一さんがオープン大会で優勝を果たしたその時の、夫婦の面白いエピソードがありました。

優子さんは、結婚してからというもの豪雨の日も、飛ばされそうな嵐の日も、真夏の灼熱地獄も、真冬の凍える寒さにも、どんな小さな地区協議にも駆けつけ、全ホールついて歩いた。

そして、競技が終われば一足先に宿に戻り、洗濯や夫の身の回りの整理に追われる。

大和撫子とは優子さんのことを言うのかもしれません。

小田龍一さんは鹿児島の方なので、奥様も九州の方という確率が高いですね。

九州男児で亭主関白な夫に対し、一歩下がり後ろを歩く九州女といったところでしょうか。

この日、最終日もいつものようにつかず離れず歩いていたその時だった。

「危ない!」という悲鳴に優子さんが気がついた時には飛んできたボールは目の前に迫っていた。

とっさに身をかわした時にはすでに遅く、左肩をダイレクトに直撃。

8番パー4のティショットで、チーピンを打った夫の玉だった。

「まさか、あんな大勢の中で、嫁さんに当たるとは。」

しかも優子さんに当たっていなければ、ボールは林の中で脱出不可能だったかもしれない。

それが、なんと30ヤード近くも跳ねて、フェアウェーのど真ん中まで出てきた。

そればかりか次に200ヤードの第2打はバンカーに入れたが、左足だけ外に出すという不安定なアドレスから一転、夫はチップインで、この日3つ目のバーディーを奪ったのであった。

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こんなことありますか?

まさかの大勢の観客がいる中で、奥様に直撃、さらに結果的に助けられた形になるという。

本当に2009年の初優勝は漫画のような出来事だったんですね(笑)

初優勝後は、副鼻腔炎の影響などで思い通りにならない日々が続いたそうですが、その後も一緒に転戦し、2014年のマイナビABC選手権で復活V2を遂げた時も、奥様は

「今年は日本オープン勝利で得た5年シードの最終年。もう後がなかった。

特に昨年は辛かった。でもこの優勝でみんな忘れました」

というコメントをされていました。

内助の功とはまさにこのことでしょう。

 

弟は新?

小田龍一さんの8歳年下の弟は、同じくプロゴルファーである小田新(しん)さんです。

新さんは長年、兄である龍一さんのキャディーを務めていて、日本オープンで初優勝を遂げたその時も奥様と一緒に応援されていたようです。

そんな新さんのデビュー戦は2014年の東建ホームメイトカップの開幕戦。

今季前半戦の出場権獲得、とはならなかったが今週の月曜日に急遽、主催者推薦をいただけることになったのだ。

実は今週は兄のキャディをつとめるつもりで、自分のキャディバッグは次週のつるやオープンの会場にすでに発送済みだった。

それが、いきなりこの開幕戦がデビュー戦となることが決まって大慌てだ。

兄のバッグを担いで12年あまり。「やれる、できる、と常に言ってきたのは僕の方だった。」

しかし、いざ同じステージに立つことが決まって、「横でただ言うのと、実際に自分がやるのとでは全然違うと分かった」と。

萎縮する弟に、「緊張するのは仕方ない」と言ってくれた兄。

「それでもその中で、自分のやるべきことをやればいいんだ」と言われて、少し落ち着いた。

キャディの立場では見慣れた景色のここ多度も、いざ選手として立つとなれば、全然違う場所にすら見えてくる。

長年、兄を支えてきた身としては、なんとなく「失敗できない」という気持ちでいっぱいだったのではないでしょうか。

文章で読むだけでも、緊張感がひしひしと伝わってきます。

確かに、スポーツ中継を見ていると「なんでそこでこうしないんだ!」などと好き勝手に口出ししてしまいますが、実際自分がそこに立つと緊張で足が震えたりして、うまくいかなかったりしますよね。

新さんは、自身もプロだからこそ、余計に緊張されていたと思います。

結果は残されていなかったので、よい結果というわけではなかったようですが、「結果を求めず、ただ自分がやれることに専念して頑張ります」という言葉を言っていたようなので、有言実行できていればいいですね。

 

シードやスイングについて

小田龍一さんは09年の日本オープンで5年シードを獲得し、最終年の14年にマイナビABCチャンピオンシップで2年のシード権を獲得されています。

しかし15、16年とシードの座を堅持していましたが、17年は腰を痛めて秋から戦線離脱を余儀なくされました。

特別保証制度が適用され、18年は復活にかける1年となるそうです。

スイングについては、昔から『飛ばし屋』と呼ばれているみたいですね。

日本選手初の300ヤード超えを果たしたのは小田さんだそうです。

ドライビングディスタンスでは毎年上位にランクインするなど、その異名に偽りはなさそうですね。

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