京谷和幸の嫁と息子まとめ。交通事故は飲酒運転が原因?

今回は京谷和幸さんと、奥様や二人のお子さんについてまとめていきたいと思います。

また、交通事故は飲酒運転が原因とも言われていますが、本当なのでしょうか?

そのあたりも調べてみました。

 

京谷和幸について

京谷和幸さんは、元プロサッカー選手であり、また元車いすバスケットボール選手でもある方です。

 

プロサッカー選手時代

小学2年生の時にサッカーを始め、サッカーの強豪校、室蘭大谷高校に進学されました。

2年時からユース代表、3年時からバルセロナ五輪代表候補に選ばれたということで、「京谷半端ないって!」状態だったのだと思われますね。

高校卒業と同時に現・ジェフユナイテッド市原・千葉とプロ契約をし、1993年のヤマザキナビスコ杯第5節ガンバ大阪戦で公式戦初出場を果たしました。

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しかしその一か月後、交差点で車と接触事故を起こしてしまい、脊髄損傷によって車いす生活を送ることになり、引退を余儀なくされました。

半身不随になった京谷和幸さんは、ショックのあまり人に八つ当たりしたり、泣いた日もあったと言います。

相当辛い日々だったと思います。

小さい頃から夢見ていたプロサッカー選手になれてようやくこれから!という時にですからね、無理はありません。

 

車いすバスケットボール選手時代

しかし、そんな暗く辛い日々を過ごしていた京谷さんに転機が訪れます。

妻が障がい者手帳の交付を受けるために訪れた市役所の担当者が、車いすバスケ日本代表の小滝修氏だったのです。

その後小滝さんに誘われた京谷さんは車いすバスケを始め、みるみる頭角をあらわしていったようです。

元々プロのサッカー選手ですので、運動神経やチームプレイのイロハがなんとなく分かっていたからかもしれません。

車いすバスケットボールチーム「千葉ホークス」の中心選手として活躍し、シドニー・アテネ・北京・ロンドンと4大会連続でパラリンピック日本代表として出場されました。

さらに北京パラリンピックでは日本選手団の主将も務めたということで、リーダーシップも申し分ない完璧なスポーツ選手であると思われます。

 

現在について

現在は現役を引退され、サッカーを諦めず、指導者としてピッチへ戻るという夢を掲げて、城西国際大学サッカー部の外部コーチをされているみたいです。

また2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、車いすバスケットボールの若手育成にも力を注がれているようです。

 

嫁について

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奥様はサッカー選手時代に、同期入社された京谷陽子(旧姓:三木)さんです。

お二人は、京谷和幸さんが事故に遭った二か月後に結婚式を予定していましたが延期。

1994年10月23日に結婚式を挙げられました。

車いす生活を余儀なくされた後も献身的に夫を支えた陽子さんは素晴らしい妻だと思います。

陽子さんが小滝さんと知り合ったのは偶然ではなく、必然だったのかもしれませんね。

お二人のおかげで、京谷さんは光を取り戻したと言ってもいいと思います。

 

子供について

京谷さんと奥様の間には、女の子と男の子のお子さんがいらっしゃいます。

娘さんは1996年2月6日に誕生されました。

高校生の時は、バトントワリングをされていたそうです。

綺麗な娘さんですね。

息子さんは1999年に生まれ、なんと現在高校でサッカーをしているようです。

学校名までは分かりませんでしたが、寮生活を送っているそうなので、もしかすると強豪校なのかもしれません。

今後日本代表で京谷さんというお名前の方がいたら、世間はざわつくこと間違いなしでしょう。

 

事故の原因は飲酒運転だったのか?

さて、一時は京谷さんを絶望のどん底に落とした交通事故ですが、原因はなんだったのでしょうか?

「飲酒運転をしていたのでは?」という噂があったそうで、一時期Wikipediaにもそのように記載されていましたが、現在は削除されています。

京谷和幸の交通事故が電柱と正面衝突という事故だったために、飲酒運転をしていたのではないか?とネットの噂になっている。

しかし、実際に脇から急に飛び出してきた車をよけてぶつかったという事故検証がされているので飲酒運転ではない。

実際に現場検証もされているので、飲酒運転はガセということで間違いなさそうです。

この日は結婚式の衣装合わせという大事な日だったそうなので、そんな日に朝方まで飲酒をするとも考えにくいです。

まあ、大事な日に午前様というところは、私が妻ならちょっとイラっとしてしまいそうではありますが(笑)

ただ、チームメイトと早朝まで話し込んでいたという説もあるそうで、それなら仕方ないかなという気にもなります。

奇しくも話し込んでいたせいで交通事故に遭い、夢だったサッカー選手を引退しなくてはならなくなったという境遇は涙なしには語れませんが、それがあったから車いすバスケに出会えたのだということでしょう。

プロサッカー選手になるまで、どれ程の苦労があったか。また車いすバスケの中心選手として活躍するためにどれ程の困難を乗り越えたかは私には想像つきませんが、新しい人生に栄光があったことは、とても喜ばしいことに思います。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックを盛り上げるために、またもうひと頑張りして下さることを願っております。

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