稲川淳二の嫁の画像は?次男が死去?死因は?障害や病気について!

タレントの稲川淳二さんのお嫁さん情報と画像をご紹介!

次男は障害や病気を抱えていました。

そんな次男が死去したその死因について調べました。

 

稲川淳二の嫁

稲川淳二さんは1977年に嫁となる尚子さんと結婚しました。

尚子さんは青森県出身で16歳の時に上京してきたと言います。

そして、結婚した年に長男で俳優の稲川貴洋さんが誕生、1986年には次男の稲川由輝さんが誕生しました。

 

嫁とは25年別居状態

スポンサーリンク

そんなお嫁さんの尚子さんとは、実は25年以上別居していることを、稲川淳二さんが告白しました。

きっかけは稲川淳二さんの仕事が忙しすぎて、家庭を顧みなかったことでした。

1990年に元旦に年末の仕事が終わって3日ぶりに家に帰ると、家にいるはずの家族が誰もいなかったそうです。

そして、近所のガソリンスタンドで家族が誰もいないと愚痴をこぼすと、そのガソリンスタンドのおやじが「温泉行ってますよ」と行先を知っていたと言います。

稲川淳二さんとしては、「他人に行先を教えるならせめて置き手紙くらい書いておけ」という感情が出てきて、その後は稲川淳二さんも家には帰らず事務所で寝泊まりしたそうです。

稲川淳二さんとしては一週間くらいすれば、嫁も心配するだろうと高を括っていたのですが、そのまま1ヵ月が経ってしまい、家に行ってみると鍵が変えられていたんだそうです。

お嫁さんが稲川淳二さんに勝手に入ってこられるのを拒んだからでした。

それからそのまま別居生活が続き、気付けば25年以上経っていたのだそうです。

その間、会ったのは冠婚葬祭などの行事事で、トータル10回くらいしか会ってないそうです。

ですが、お嫁さんは事務所の社長ですから、仕事上の関係は繋がっていたようです。

2015年頃に稲川淳二さんの嫁は長男と新居に移ったようですが、稲川淳二さんには長男すらも家を教えてくれないようです。

25年以上別居をしていて、何故離婚という選択肢を選ばなかったのか?

稲川淳二さんは「会わないことで嫁に迷惑をかけないこと、それも愛情」と語っていました。

 

嫁の画像

そんな稲川淳二さんのお嫁さんの画像があったら見たい気持ちありませんか?

稲川淳二さんって実はとっても優しくていい人過ぎる、ということも聞きますので、お嫁さんもよっぽどの想いをしたのだと思います。

残念ながら稲川淳二さんのお嫁さんの画像は公表されていません。

稲川淳二さんなりのこれも愛情なのではないでしょうか。

ここでこの画像を出すべきか悩みましたが、尚子さんの画像が唯一あるのです。

それは、障害を持った次男のことを書いた本の表紙です。

強く美しい母の姿がこの1冊の表紙だけで伝わってきますね。

スポンサーリンク

 

稲川淳二の次男

稲川淳二さんには生まれつき障害を持った由輝さんという息子さんがいました。

 

次男死去

由輝さんは生まれつきの難病「クルーゾン症候群」に罹っていて、2013年に26歳という若さで亡くなりました。

稲川淳二さんは次男に対して「何もしてあげられなかった」「親として最低だ」と振り返った。

同病は手術をしても助からないか、助かったとしても障害が残ると宣告されていたという。

何が不幸って、子供のお葬式を出さなければならない親の気持ちは、計り知れないほどの不幸です。

由輝さんのようにある程度、死を覚悟していたとしても、親より先に死ぬ子供ほど親不孝なことはありません。

 

死因は?

稲川淳二さんの次男・由輝さんが亡くなったのは、「クルーゾン症候群」という病気が死因でした。

「クルーゾン症候群」とは一体どんな病気なのでしょうか?

早い段階で頭蓋骨が完全に閉じてしまう。

普通は脳の成長に合わせてじょじょに広がり最終的に閉じるもの。

早い段階で閉じてしまうと、脳が圧迫されるのはもちろん、色々と障害が出るのは、容易に想像がつくと思います。

先天性の頭蓋骨形成異常ということですね。

大変な難病となっているようです。

乳幼児から成人になるまで数回に分けて手術する必要があるようで、精神的にも身体的にも治療が難しいようです。

本来から家族ぐるみで世話し、治療にもかからなければならないところを、稲川淳二さんは家族と別居していたことで、力になれなかったことも多々あったことと思います。

それだけに後悔の念は拭いきれないでしょう。

 

障害の病気を受け入れられない父

由輝さんが生まれた時、稲川淳二さんはまず長男と嫁に及ぶ影響を考えたそう。

そして、稲川淳二さんはこんなことを思ってしまったのです。

手術を乗り切ったとしても次男の将来を悲観してしまった稲川は「この子が死んでくれたら」「死んでくれないか」と考えてしまったそうだ。

ここで、稲川淳二さんを責めることなど出来ません。

それは、次男の幸せを思ったからです。

思い詰めた稲川は、寝ている時間とふたりっきりの時に、鼻と口を押さえつけようと思うも、手が震えてしまったと告白した。

そのうち、妻がやって来たところで正気を取り戻し、自分を「最低だ」「何てすまないことをしたんだろう」と深く反省したそうだ。

障害を持つことは決して不幸なことではない。

障害を持っている子の方が親は可愛い。

などと言いますが、これって綺麗ごとです。

家族の負担やメンタルは計り知れないくらい大変だからです。

このことがあって、稲川淳二さんはそれまでやっていたお笑いの仕事は一切やらなくなりました。

お笑い芸人が笑えなくなったら終わりだと思ったからだそうです。

稲川淳二さんは次男の障害という病気と対峙し、「命を大切に思うから怪談がある」「単に死んで終わりなら怪談の意義はない」と言っています。

それは正しく次男のお陰だと言い切りました。

スポンサーリンク

スポンサーリンク



Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)