魁皇の嫁が病気?元プロレスラーで画像は?子供はいない?八百長で引退?

今回は元大相撲力士・魁皇(現・浅香山親方)についてみていきましょう。

魁皇の嫁は西脇充子

キンタ、ゴリライモなどの愛称で親しまれる魁皇。
通算勝利数歴代1位の1047勝を成し遂げた元人気力士の魁皇ですが、1999年に結婚にした嫁が話題になっています。

 

元プロレスラー?

西脇充子さんは1985年に女子プロレスラーとしてデビューします。
RIZINに参戦した経験もある堀田祐美子さんとファイヤー・ジェッツを結成してレコードを出すなど活躍していました。

同期にはあの有名な北斗晶さんがいて、公私ともに仲良しみたいです。

1990年に引退しているので、現役生活はわずか5年だったようです。
その後はタレントに転身したようですが、特に目立った活動はしていませんでした。

画像でみるとすごくお綺麗な方ですね!

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病気なの?

プロレスラーを引退して5年後、27歳のときに西脇さんは卵巣がんにかかってしまいました。
ある日お腹にコロコロとした異物感を感じ病院に行ったことで発覚したそうです。
無事手術は成功しましたが、ガンは手術が成功したからと言って安心できるわけではないんですよね。

手術後は抗がん剤治療による闘病生活が始まり、吐き気や抜け毛など想像を絶するほどの壮絶な闘いだったようです。

当時は治療法の選択肢も今に比べれば少なかいですし、術後のケアも今ほどはありませんでした。

辛い闘病生活を終えて、見事ガンを克服した西脇さん。
その精神力はすさまじいものがありますね。

退院し、プロレス時代の仲間であるアジャ・コングが退院祝いで食事会を開催しました。
そこに記者に誘われて出席したのが当時24歳の魁皇だったそうです。

若いころの西脇さんは相当な美人だったようで、魁皇の一目ぼれだったとか。
それに加え天真爛漫な明るい性格の西脇さんにどんどん惹かれていったようです。

飲み会でも二次会にも参加し、チークダンスを一緒に踊るなどアプローチをし始めます。

しかし西脇さん自身は当時、全く魁皇に興味はなかったそうです。
5歳も年下ですし、病気のこともあって誰かと付き合うという余裕もなかったといいます。

それでも魁皇はあきらめず、猛アタックをした結果、西脇さんもとうとう魁皇の人柄に惹かれていきました。

なんと出会って3か月後という超スピード結婚だったといいますから、運命的なものを感じますね。

 

子供はいない?

結婚して18年たちますが、2人の間にはまだ子供はいません
不妊の噂や過去の西脇さんの病気が影響しているのではとささやかれていますが、真相はわかりません。

西脇さんと結婚してから魁皇は徐々に実力をつけ始め、結婚の翌年である2000年に初優勝をかざります。
その後大関昇進も果たし、西脇さんは立派なあげまんになりました。

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大関昇進後に魁皇が腰の大きなケガ、ヘルニアを負ってしまったことを皮切りに、その後幾度となくケガに泣かされ、休場が続くことも時期もありました。

そのとき「元女子プロレスラーの嫁が、相撲取りの嫁として相応しくない」という世間からの厳しい批判もありましたが、西脇さんがかなりプラスの影響を及ぼしているのは間違いありません。

実際西脇さんは、栄養管理の特製ジュースを作ったり、専属のマッサージ師を読んだり、自らも痛めた身体をケアするために、湿布を貼るなど、毎日魁皇のケアを行っていたようです。

その時の苦労を充子さんはこう語る。「相撲協会の大事な宝、ファンの人の大事な魁皇関という人を、私がお預かりしているんですよ。ずっと。その責任感というか、重圧は凄かったです」

魁皇が引退して、2013年に浅香山部屋を創立した現在は女将さんとして力士たちのサポートに徹しています。

相撲部屋を新設するには、土俵がないと始まらない。まず充子さんがやらなければならなかったのは、稽古場の確保だ。その土地探しは、さまざまな条件をクリアしなければならない。まずは稽古場に必要不可欠な土俵を設置できる十分な広さが欠かせない。その脇には、親方の座る板の間のスペースも必要だ。

さらに、調理場を土俵のそばに作ることや、お客様を受け入れる駐車場も確保しなければならない。これだけでも大変な条件だが、さらに問題なのは、ご近所問題である。一般的に相撲部屋の朝稽古は朝6時に始まる。そしてひとたび稽古がはじまれば、弟子たちの怒号やぶつかり音が近所まで響いてしまう。ご近所の理解をもらえなければ、始まらない。

女将の仕事は想像以上に大変なんですね。こんなに忙しいと子供を作る余裕もなかったのかもしれません。
献身的で素敵な奥さんですね!

 

八百長で引退?

魁皇は2011年7月場所10日目の琴欧洲戦で負け越しがほぼ確定的となった時点で、10日目の取組後記者懇談で「気力が出なくなった」と漏らし、宿舎に戻り師匠と話し合った末現役を引退することを決めました。

当時八百長問題に揺れる角界で、大麻取締法違反で逮捕され、2008年8月に日本相撲協会から解雇されたロシア人の元幕内若ノ鵬が「週刊現代」で現役時代に21人の力士と八百長を行ったと実名をあげて告発しました。

その中には、魁皇、琴欧洲、琴光喜、千代大海の大関陣ほか、関脇琴奨菊ら幕内上位力士も含まれていたので世間に衝撃が走りました。
実際のところ八百長があったかは定かではありませんが、引退は魁皇の意思で八百長は関係ないといいます。

翌11日目の引退会見での魁皇は「もう悔いも後悔も一切ありません」と安堵の笑みを浮かべながらインタビューに応えていたのが印象的でした。

初土俵以来23年以上の長きに渡る現役生活で、2011年版ギネス・ワールド・レコーズに「幕内通算846勝」「幕内在位103場所」として掲載されました。

魁皇の長年の功績を讃えて地元・福岡県から「福岡県民栄誉賞」「特別市民文化栄誉賞」が贈られています。

断髪式と引退相撲は2012年5月27日に両国国技館で行われ、同期の貴乃花、曙ら約340人がはさみを入れました。

「正直に言えば、いろんなところでこみあげてくるものがあった。親の時は、がまんできなかった」と述べ、約1万人の観衆でぎっしりと埋まった館内が“魁皇コール”に包まれると魁皇は「鳥肌が立った。最高の一日だった」と涙を流した。

人気力士として今もその名が語り継がれる魁皇。今後も親方としてますますの活躍を期待しています!

 

この辺で魁皇の紹介は終わりです。

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