寺尾聰の結婚した嫁の星野真弓との馴れ初めは?元嫁の范文雀との離婚理由は?

大ヒット曲『ルビーの指輪』で、歌謡界の記録を次々と塗り替えたシンガーソングライターで俳優の寺尾聰さんの離婚歴と再婚嫁の馴れ初めなどを調べてみました。

昭和の名俳優・宇野重吉(うのじゅうきち)さんを父に持つ寺尾聰(てらおあきら)氏はデビューした当時石原軍団に所属していたようですが、現在は独立して個人事務所で活動をしています。ジュディ・オングさんとの交際、そして范文雀さんとの離婚を経て同じドラマで共演した星野真弓さんとの結婚生活が続いています。

プロフィール

寺尾 聰(てらお あきら)
生年月日:1947年5月18日
出生地:神奈川県横浜市保土ケ谷区(東京都目黒区育ち)
職業:ベーシスト・シンガーソングライター・俳優
ジャンル:映画・テレビドラマ・演劇
配偶者:范文雀(1973年~1974年)、星野真弓
著名な家族:宇野重吉(父)
事務所:寺尾音楽事務所

 

1966年、ホリプロダクションに所属し、「いつまでもいつまでも」でレコードデビュー。
1968年、石原裕次郎製作・主演の映画『黒部の太陽』で俳優デビュー。
石原軍団の若手有望株として移籍し『西部警察』などのドラマでは刑事役で活躍。
1981年、もともとCM曲だった「ルビーの指環」が大ヒットし、第23回日本レコード大賞を受賞。

大ヒット曲『ルビーの指輪』

大ヒット曲『ルビーの指輪』で、歌謡界の記録を次々と塗り替えた日本を代表するシンガーソングライターでもあります。
今の寺尾聰からは想像できませんが、高校時代はエレキギターに心酔し、バンド活動が度を越して、停学や退学を繰り返す問題児だったのだとか。
1981年第23回日本レコード大賞を受賞した寺尾聰の『ルビーの指輪』当時、曲のヒットに端を発して、全国でルビーの指輪がバカ売れ!宝石店からルビーの指輪が姿を消してしまったという仰天エピソードもありました。

寺尾聰さんは当時石原軍団に所属していたようですが、現在は独立して個人事務所で活動をしています。
移籍理由は大人の事情が絡んでいるようですが、デビューはフォーク・グループでのミュージシャン(ベーシスト)だったそうで、音楽活動の後に俳優として活動を開始しました。

父親の紹介での石原軍団入りだった

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俳優業に関しては、父親である昭和の名優・宇野重吉(うのじゅうきち)さんが、石原軍団の代表の石原裕次郎(いしはらゆうじろう)さんと親交が深かったことから紹介されて、俳優デビュー作となる初出演は石原裕次郎さん制作・主演の映画『黒部の太陽(1968)』でした。
その後、石原軍団に移籍してからは刑事ものを中心にドラマや映画で活躍し人気を博していきます。
西部警察(1979年~1982年、テレビ朝日)ではこんなエピソードがあります。

 

『西部警察』での殉職について、1981年「ルビーの指環」の大ヒットによりコンサートツアーなど歌手業が忙しくなってドラマ撮影との両立が難しくなり、石原裕次郎が「寺尾君は自由にしてあげよう」という考えから西部警察から外れることになった。

宇野重吉

寺尾聰さんの父親は、俳優座・文化座と並んで日本を代表する劇団「劇団民藝」創立者の宇野重吉氏。

1981年、長年に渡る演劇界への貢献から紫綬褒賞を受賞。
2008年、寺尾聰氏も紫綬褒賞を受賞して、宇野重吉・寺尾聰親子二代での受賞。

軍師官兵衛で徳川家康役

寺尾聰さんは、2014年放送のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に徳川家康役で出演しましたが、このドラマの中では、いつも右目を半開きにして意味深な表情を作っていました。
そのため、「寺尾聰は右目が悪いのではないか?」などとネット上でも健康不安視するようなワードが飛び交い話題を呼びましたが、実は全てが役作りの演出だったのは周知のとおりかと。

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「僕の中での家康は裏表のある曲者。それを自分で常に意識するために裏の顔の象徴として右目を少し閉じて何か企んでいるように見せるようにしました」と語っています。

結婚・離婚・再婚

「良き父親」などといった「父親」のイメージが強いといわれている寺尾聰さんですが、現在の妻と結婚する前には、ジュディ・オングさんとの交際歴や台湾国籍の女優さんとの短い結婚生活もあり、バツイチの再婚者です。

最初の結婚はスピード離婚!

26歳の時に台湾国籍の女優の范文雀さんと結婚・離婚しています。
元嫁・范文雀(はんぶんじゃく)との結婚生活は1年と短いものでした。
その結婚前には何と!

ジュディ・オングさんと交際していたという事実が発覚しております。

寺尾聰がジュディ・オングに「結婚後は家庭に入って欲しい」と強く望んだことが破局の原因だったそうですが、奇しくもその後結婚相手に選んだのが同じ台湾出身の范文雀!
こちらの離婚の原因も元嫁・范文雀が家庭よりも仕事を選んだからかも知れませんね。
結婚期間は1973年~1974年という僅か1年間のみのスピード離婚でしたが、離婚の原因がなんだったのかは明らかになっておりませんし、もちろんお二人の間に子供も授かってはいないようです。
残念ながら范文雀さんは2002年に54歳の若さで亡くなられています。

再婚相手は共演者の星野真弓!

寺尾聰さんの現在の嫁は、1979年に資生堂のCM「微笑みの法則」に出演した元モデルの星野真弓さんです。
星野さんとの馴れ初め・出会いは石原軍団の代表的刑事ドラマで寺尾さんが数年にわたって出演していた「西部警察」で、星野さんがゲスト出演し共演されたことがきっかけだったようですが、知り合った当時の星野真弓さんは19歳ぐらいだったらしいので、寺尾聰さんとは一回り以上の年齢差があったのではないでしょうか。

また寺尾さんは、共演者や後輩の面倒見が良いらしく、優しいダンディーな方という事で、撮影時や撮影後の打ち上げなどの際に急接近したのではないかとも言われています。

子供さんはいるのか?

子供に関して、プロフィールに発表されてもないし、写真なども見当たらないので、お子さんの情報が皆無です。
しかしながら、息子に関する発言はしたことのない寺尾聰さんですが、2012年に出演したNHKのスペシャルドラマ「永遠の泉」土曜ドラマ(2012年6月)の会見で以下のコメントをしていることから娘さんがいることは確定していますね。

「杏ちゃんはウチの娘とよく似ているんだ」とコメントしたことから、
寺尾聰には、女優の鈴木杏さん似の娘さんがいるようです。

色々検索して調べてみましたが、星野真弓さんと寺尾聰さんのお二人には、3人のお子さんがいるらしいのですが、年齢・性別・人数などの詳細については公表されておらず、判明している事は男の子と女の子の両方いるということのみでした。

寺尾聰は逮捕された過去があるの?

逮捕歴?
どうも寺尾聰さんの逮捕歴を調べても其れらしき情報は出てきません。
つまり、逮捕はされていないということですね。

では、どうしてこのような噂が流れたのでしょう。

噂の発端は、元プロ野球選手の清原和博氏が覚醒剤取締法違反で逮捕された時でした。
警察やメディアが芸能界の薬物使用者を一掃しようという動きの中で、寺尾さんの名前が上がったそうで、多少の取り調べが行われたようですね。

明石家さんまさんやナインティナインの岡村隆史さんなどもこの取り調べがあったようで、テレビやラジオで面白おかしく話していましたが、事実にない疑いをかけられた結果、犯罪者のような扱いを受けるのは迷惑この上ないですよね。

ただ、高島礼子さんの夫・高知東生氏の逮捕に繋がったという点では効果はあったのかもしれません。

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寺尾聰さんって「バツイチ」だったんですね。

ドラマ「陸王」(主演・役所広司、共演者・竹内涼真、山崎賢人ほか)では随分と低いしゃがれた声を出していますが、役者に重点を置いて今もなおご活躍されています。
これからはどんな演技をされるのでしょうか楽しみですね!

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