大塚明夫の結婚した嫁は一般人女性?元嫁の沢海陽子との離婚理由は?

今回は、声優の大塚明夫さんのお嫁さんについてご紹介します。

結婚相手は?

声優の大塚明夫さんといえば、ハードボイルド系の世界ではなくてはならない声優さん。

スティーヴン・セガールやニコラス・ケイジといったハリウッドの有名俳優の声を担当しています。

顔も声も渋いですよね。

そんな大塚明夫さんは、2017年1月7日に結婚を発表されました。

結婚したお相手は、一般女性とのこと。

公式サイトにて結婚発表

所属事務所”マウスプロモーション”の公式サイトに、結婚をお知らせする記載がありました。

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弊社所属のタレント大塚明夫がこの度、結婚致しました。

お相手は一般の方ですので、名前などの詳細は伏せさせて頂きます。

 

一般女性ということで、お名前や写真などは一切公表されていません。

大塚明夫さんは、過去に結婚されているので今回が再婚ということになります。

 

元嫁の沢海陽子さんとは?

大塚明夫さんが、過去ご結婚されていて元嫁は同じ声優業をしている沢海陽子さん。

名前:沢海陽子(そうみ・ようこ)
生年月日:1965年5月31日
出身地:新潟県
身長:167cm
血液型:O型
所属事務所:マウスプロモーション

沢海陽子さんは、声優だけでなく女優として舞台などにも立たれることがあります。

167cmと長身で、すらっとされているのでモデルさんのようですね。

そんなお二人は、2005年2月11日に結婚し、その3年後の2008年の2月には離婚されています。

わずか3年という短い期間で、夫婦の関係を終えたようです。

大塚明夫さんとは、現在も同じ”マウスプロモーション”という声優の事務所に所属。
洋画・海外のドラマなどの吹き替えのお仕事が多く、中でも沢海陽子さんといえば、キャメロンディアスの声を担当していますが、イメージによく合いますよね!

沢海陽子さんとの離婚理由は?

大塚明夫さんと沢海陽子さんが、離婚した理由ですが詳しくは語られていないようです。

ただ、過去に大塚明夫さんがこのように発言されています。

「離婚は夫婦仲の悪化ではない」

 

仲が悪くなったから離婚という険悪な感じではないようです。

それを物語るように、お二人は今も同じ事務所で声優として活躍されています。

それだけでなく、共演などもされているので関係が悪いということはなさそうです。

ではなぜ?と思ってしまいますが、お互いにお忙しいでしょうし、二人にしかわからない事情もあるのでしょう。

沢海陽子さんは独身

大塚明夫さんが再婚されたわけですが、沢海陽子さんはというと・・・。

離婚後は、再婚されていないようで現在も独身とのこと。

 

初主演ドラマで元嫁と共演

離婚後も共演を果たされてるお二人ですが、ドラマでも共演されています。

声優としてではなく、ドラマなので結構レアですよね。
大塚明夫さんは、「真夜中の百貨店~シークレットルームへようこそ~」というBSの連続ドラマに主演として抜擢、そのドラマにゲスト出演ということで沢海陽子さんもでられたとのこと。

お綺麗ですよね!

ご出演は、第6・7話だったようです。

子供はいない?

今回の結婚が、二度目にあたりますか元嫁・沢海陽子さんとの間には子供はいません。

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そして、現在のところ再婚したお相手が妊娠したなどの情報もないようです。

お子さんが欲しそうな発言も、見せておられるので望んでおられるのかもしれませんね。

父親は大御所声優

大塚明夫さんの父親は、大御所声優で知られる大塚周夫”おおつか ちかお”さん。

声優の業界では、かなり名の知られた方なのです。

やはり、才能は受け継がれていたということでしょうね。

 

父親の大塚周夫さんですが、2015年1月15日(享年85歳)でこの世をさられています。

イメージとしては声優のお父様に憧れていて、この世界に入ったのでは?と思ってしまいますが、実は全く違うようです。

声優にはなりたくなかった?

若い頃は、父である大塚周夫さんに反発していたとのこと。

「誰が役者になんかなるか」と大学を中退。

中退後は、トレーラーの運転手のお仕事をされていたそうです。

トレーラーの運転手は、その後23歳までされていたとか。

では、そんな大塚明夫さんがなぜ役者の世界にはいったのかというと・・・。

きっかけは好きな女性の一言

あんなに反発して、大学をやめトレーラーを運転していた大塚明夫さん。

結構些細なきっかけで、この世界を目指すことになったそうです。

それは、当時好きだった女性のある一言。

「男は夢がある方がいい」

しかも、そう言われて振られたんだとか!

そんな傷心の大塚明夫さんに突如火が付くことに・・・。

「役者になってやる!」

と、ここからメラメラと役者を目指す闘志を燃やすことになったそうです。

何というか、結構単純なんですかね(笑)

でも、この行動力は素晴らしい!

苦労の日々

 

仲代達也主宰の『無名塾』に入ろうと入所試験を受けましたが、最終選考までいって落選。
次に、父親から資金を借りて文学座の養成所の文学座演劇研究所に入所。
しかし研修生として残れずに一年で退所となります。

入り口は、声優ではなく俳優の方だったようです。

その後さらに、小説家・放送作家などをされている井上ひさしさん主宰のこまつ座に入りました。

しかし、ここでもまた目がでない日々が続き、とうとう生活自体が苦しくなってしまったんだとか。

 

実は、結構苦労されたんですね。

父親の影響でそのまま声優を始めたのかと思いきや、結構いろんな壁にぶち当たってもがかれたようです。

 

声優の仕事は父親経由で

俳優として、とことん壁にぶつかった大塚明夫さんが最後に頼ったのはやはり父親の大塚周夫さん。

生活が困窮して、父親に声優のお仕事を紹介してもらうに至ったそうです。

やはり、血は侮れませんね。

結局、父の才能を受け継ぎ紆余曲折を経ながらも、声優のお仕事に辿り着かれました。

父親との初共演作は?

初めて共演をしたのは映画『レッド・サン』で、大塚明夫さんが三船敏郎の吹き替えを担当し、父・周夫さんがチャールズ・ブロンソンの吹き替えを担当していました。

その後も、父親の大塚周夫さんとの共演は沢山されています。
同じ声優のお仕事をはじめられた息子さんとの共演、父親の周夫さんは嬉しかったでしょうね。

この世界に入られた息子・大塚明夫さんのことに対して、このように語られていました。

「感性に生きる仕事を選んでくれたことは嬉しい」

父親が声を担当していた”忍たま乱太郎”の山田先生。
大塚周夫さんの亡きあと、大塚明夫さんが引き継がれています。

初代・2代目が親子っていうのが、感慨深いですね。

お父様もきっと、喜ばれているでしょう。

今後も、声優・俳優にとどんどん活躍して、あの渋い声で楽しませてほしいですね。

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